大学無償化問題を論じる前に持っておくべき問題意識

 こんにちは、鈴木寛です。

 2017年も半年が経ってしまいました。本年初の記事となりますが、あらためてよろしくお願いいたします。

 さて、永田町・霞が関のニュースは、本質的な政策課題とは乖離したところで盛り上がっています。スキャンダリズムが蔓延している政治では、もっと考えなければならない重要な議論が表面化されないまま進んでしまいます。インテリジェンスを鍛えるには、メディアには「報道の自由」と表裏一体で「報道しない自由」があるとまず知ることが重要です。報道機関が報道しない重要なことにアンテナを立ててください。

 教育改革でも、「教育国債」「大学教育無償化」が重要課題でしたが、いつの間にか、見なくなってしまいました。そこで今回は、昨今の政治報道で埋没した観のある教育国債、大学教育費の無償化に関して私の意見を述べたいと思います。

高校無償化実現から始まった
教育無償化の流れとは

 いま議論されている教育の無償化は、高等教育(大学)の無償化です。 今年の1月に安倍総理が施政方針演説で「どんなに貧しい家庭で育っても、夢をかなえることができる。誰もが希望すれば高校にも、専修学校、大学にも進学できる環境を整えなければならない」と、高等教育の無償化について言及していたことで、議論が盛り上がるようになりました。

 ついでにいえば、高校の授業料無償化は私が文部科学副大臣であった2010年に「公立高校授業料無償制・高等学校等就学支援金制度」としてスタートしています。2014年に、公立は有償に戻ったため「高等学校等就学支援金制度」として、低所得者の子女向けの就学支援が残っています。高校無償化を実現させた私こそが、“元祖・高校無償化”です(自称ですが(笑))。

 そもそも中等教育と高等教育の無償化というのは、世界人権宣言・国際人権規約の13条2のbとcに明記されています。ちなみに、高校は後期中等教育に該当します。