川の水面には、山の緑と青い空が映っており、吹く風は涼しく、清らかだ。立ち止まり、深呼吸すれば、たちまち豊かな自然が体中に満ちてきて、(この森が多摩川の滔々たる流れを生み、都民の生活を潤してくれている)という実感が湧いてくるだろう。

 だが、これだけは知ってほしい。豊かな川を守るには、母なる源流の森を守らなければならない。眼前に広がる豊かな自然は、小菅村が30年以上も前から、源流にこだわった村づくりに取り組んできた成果である。

完成した『源流絵図』に見る
清流の守り人たちの知恵

『多摩川源流絵図 小菅版』 縦84cm×横59cm

 源流の森に分け入る前にぜひ、目を通してほしいのが『源流絵図』だ。

 制作したのは中村文明さん。小菅村にある多摩川源流研究所の所長だ。水源の森の豊かさに魅せられ、通い詰めるうちに絵図の作成を思い立ち、地域の古老への聞き取りと数百回におよぶ踏査を経て、1999年に完成させた。

「最低でも年4回、春夏秋冬訪れなければ、川の本当の姿はわかりません。朝と昼と夜でも違います。月1回、年12回は通わないと、1年通して見たことにもならないでしょう。私は11年間で925回、歩きました」(中村さん)

 下流から上流へ、さらに枝分れした支流へと、柔らかな線と色彩で、丹念に描きこまれた絵図を目でたどると、いかにも曰くありげな滝や淵の名前がいくつもあることに驚く。考えてみてほしい。ここは大切な水源の森だが、観光地ではない。それどころか、中村さんのような目的を持った人以外は、地元の人も滅多に足を踏み入れないだろう。そんな山奥の小さな滝、ささやかな沢の一筋にまで名前がある意味を。これらの名前こそは、かつてこの山深い谷にもたくさんの人々が分け入り、イキイキとした営みがあった証であり、清流の守り人たちの知恵の印なのである。