製薬フロンティアPhoto:Diamond

江戸時代から続く大阪の薬のまち「道修町(どしょうまち)」。2025年秋に塩野義製薬がJR大阪駅前に本社を移転し、大手製薬による“道修町離れ”が一段と進んだ。そこで、連載『製薬フロンティア』内の特集『道修町×大阪製薬』の本稿では、道修町にかつて本社を構えた藤沢薬品工業の最後の社長、青木初夫氏(故人)のインタビューを再掲する。同社は山之内製薬と合併して現在のアステラス製薬となって創立20年を超えたが、初代アステラス製薬会長でもある青木氏は当時、どのような野望を語っていたのか。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

2005年に山之内製薬と合併
初の大手製薬同士で注目

 1894年創業の藤沢薬品工業は、大阪の薬の町・道修町に本社を構えた。「道修町の御三家(武田薬品工業、田辺製薬〈現田辺ファーマ〉、塩野義製薬)」には名を連ねなかったが、名門企業の1社だった。

 グローバル競争の中で生き残るため、藤沢薬品は同程度の規模の山之内製薬(本社・東京)と合併する道を選んだ。2005年誕生のアステラス製薬である。2000年代は業界再編が進んだ時期だったが、とりわけ初の大手製薬同士の合併とあって当時大きな注目を集めた。

 アステラスは、当時業界で断トツの売上高を誇る武田薬品に肉薄。10年代には、時価総額で当時国内業界トップの武田薬品を逆転したこともしばしばあった。ただ近年は新薬開発の遅れや失敗などで株価は振るわず、時価総額では中外製薬や武田薬品、第一三共などに比べて大きく水をあけられている。なお24年度の売上高順では国内業界3位、グローバルでは業界20位台前半だ。アステラス誕生以降、国内勢を巻き込んだ再編とは距離を置いてきた。

 そのアステラスは近年、相次ぐリストラや経営幹部の高報酬化(25年3月期の岡村直樹社長CEO〈最高経営責任者〉の役員報酬は6.6億円)、米国シフトなど、武田薬品をまねたような動きを見せている。

 さて最後の藤沢薬品社長で初代アステラス製薬会長である青木初夫氏は、アステラス誕生前夜の04年に『週刊ダイヤモンド』のインタビューで何を語っていたのか。実は、アステラスをさらに巨大にする、いわば「大アステラス構想」にまで話は及んでいた。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

世界のベストテン入り
決して夢物語ではない

2004年3月13日号「週刊ダイヤモンド」2004年3月13日号「週刊ダイヤモンド」より

――目標は世界のベストテン入りと宣言した。

 理想は大きい方がいい(笑)。しかし、ファイザー製薬の主力商品リピトールは年間1兆円の売上高だ。いい新薬が一つでも出れば、あっという間にべストテン入りが可能なのが製薬の世界で、決して夢物語ではない。