小学2年生になるとき、僕は荒川区立第六日暮里小学校に転校することに。第六日暮里小学校では、ありがたいことにクラスメイトと仲よくなることができました。
下町の良さもあったのか、悪ガキもいなくて、穏やかな学校でした。すーっと受け入れられた感じでしたが、僕のほうがむしろギスギスしていたと思います。
たまに、上級生にからかわれることはありましたが、小1のときに比べれば軽い感じで、「なんか言っているな」という程度でした。
だからといって、病気が治ったわけではありません。「僕は病気なんだ」という暗い気持ちは、心に張り付いたまま。それほどの悩みが、徐々に気にならなくなっていくことになるとは、当時は想像もしていませんでした。
きっかけは、些細なことでした。
「稀哲ちゃん、野球やろうよ」
仲の良かったクラスメイトが、そう声をかけてくれたのは小学4年生のときです。
それまで、隣町の少年団でサッカーをやっていました。他に、水泳やテコンドーも習っていたのですが、サッカーが好きだった父の影響で、僕もサッカーが大好きだったんです。
けれども、グラウンドが家から自転車で片道20分もかかるほど遠くて、練習に通うだけでもひと苦労。ひとりで通うのも寂しく、仲のいい友だちもできなくて、チームになじめていませんでした。
ここでも、スキンヘッドに泣かされました。
ヘディング練習は、僕にとって地獄そのものでした。
「キュルキュルキュルッ!」と勢いよく回転のかかったボールが頭に当たると、地肌がねじれてものすごい痛みに襲われるんです。強いボールが頭上から飛んでくると、亀のように首が縮こまってしまってサッカーどころではありませんでした。
友だちから野球に誘われたとき、「よっしゃ。これでヘディング練習から解放される!」とは思いませんでしたが、とりあえずなんでもやってみる性分だったので、「よし、試しにやってみよう」と友だちの誘いに乗りました。
でも、今だから言えることなのですが、野球でよかったのは、試合中にずっと帽子をかぶっていられることでした。
頭を隠せるということが、自分にとっては本当にうれしかったんです。周りのみんなも帽子をかぶっているから不自然さもないし、野球に没頭しているあいだは、病気を気にせずに済みました。
野球にのめり込み、少しずつ活躍できるようになると、周りから認められるようになってきたのがわかりました。帽子のことだけでなく、周囲から認められるのもうれしかったことを覚えています。
他のチームとの試合前のあいさつのとき、一瞬だけ帽子を取ります。僕の頭に気づいた対戦相手の子たちからクスクスと笑い声が聞こえることもありましたが、いいプレーをしていれば笑われなくなっていくのも子どもながらの発見でした。
何かに夢中になっているときだけ、悩みは気にならなくなっていました。僕は野球を通じてそれを体験しました。
「なぜ、稀哲さんは野球を始めたんですか?」と聞かれることもありますが、友だちに誘われたのがきっかけで、楽しいと思えたからやっていたんですけど、野球は僕にとって悩みを解消する場だったのかもしれません。
何かに悩んで、前に進めなくなったら、好きなこと、夢中になれるものに打ち込むのがいいです。そうすれば自分を変えるきっかけをつかめます。悩んでいるヒマもなくなります。
打ち込めるものが見つからないときでも、とりあえず何かをやってみる。何もやらなければ「0」は「0」のまま。「0」を「1」に変えられれば、その先に続く、「2、3、4」が見つかるかもしれません。