小幡は幼いころからの10年間、学校に行かず1日のほとんどをゲームに費やしていた。「当時は、このままでいいのか、成人したらどうするのかを考えても、未来に希望がなかったですね。いつ死んでもいいと思っていました」と話す。

行きたくない学校に
行くことが一番つらい

 父親は中学校の教師だった。「僕が5、6歳の時、頻繁に中学生が家に遊びに来ていて、その人たちと話すことが楽しかったですね」。また、自宅から徒歩1分の家に住む5歳年上の従兄弟の存在も大きかったという。年上の人たちと多くの時間を過ごした彼は、ほんの少し、同級生とズレていたのかもしれない。

「9月1日、嫌なら学校に行かなくていい」元不登校の大学生社長が訴える 小幡和輝 (おばた・かずき)/わかやまコンシェルジュ。1994年生まれ。10年近く不登校を経験。中学校を卒業後、定時制高校に入学し、高校3年で起業。「和歌山を輝かせる!」を活動テーマにさまざまなプロジェクトを立ち上げる。自身の経験を話すことで「一歩踏み出す勇気。」を伝えるために、全国各地の学校やイベントでの講演活動やメディア出演も精力的に行っている。Photo by Y.K

 小学1年生のある日、先生が算数の問題を出した。「3−5は?」。小幡はすぐに「マイナス2」だと答えた。しかし、当時はまだ小学1年生だったこともあり、他の子どもたちにとっては0以下の答えはなかった。世の中的には正解でも、クラスでは“不正解”だったのだ。自分が間違えたような空気に、居心地の悪さを幼いながらに感じ取った。

 それでもしばらくは学校に通った。「親が8時まで家にいるから、朝起きてからその時間まで『学校に行きなさい』『行きたくない』のせめぎ合いでした」と話す。ましてや地方の学校だったために、小中学校の9年間、同じコミュニティーでの生活を強いられる。「嫌われたら最後。逃げ道がないことに絶望しました。小学2年生の時に同級生に殴られて、それがとどめでしたね」。

 理由が分からない理不尽な暴力。同級生の行動に怖さを感じ、小幡は完全に学校に行くことをやめた。「でも、仲の良い従兄弟もいたし、ゲームの世界に入ればつらくなかった。一番つらいのは、行きたくない学校に嫌々行くこと。親も最初は学校に行けと言っていましたが、話し合って最終的には不登校を認めてくれました。それには本当に感謝しています」と当時を振り返る。