本稿が発表されたのは1962年であるが、その前年である61年はアメリカ産業界で賢明とは言いがたい行動が散見された。そこでドラッカーは、大企業とその経営を預かる経営者はもはや一組織の利益だけを追求する「経済機関」ではなく社会と国民に貢献する「社会機関」であるとあらためて主張し、アメリカ社会が大企業とその経営者たちに期待する使命と役割、そして国民の多くが疑問視する問題について解説している。なお、当論文の日本語版における初出は2003年11月号である。

アメリカ社会は大企業と経営者に期待している

 アメリカの大企業とその経営者たちは、以下に述べる4つの分野において、新たな行動、従来とは異なる産業政策、行動様式の改革などを求める世論の声に直面している。いずれも、以前ならば企業の責任と見なされることはなかった分野である。

 このような声が突きつける課題にいかに対応するか。これによって、アメリカ企業が経済の成長と発展を担う存在として公衆に受け入れられるか否かは、大きく左右されるだろう。その課題とは、具体的には、次の4分野を中心とするものである。

(1)大企業は、国際市場におけるアメリカの競争力を維持する、あるいは必要に応じて回復させる役割を果たすことが大きく期待されている。ここで銘記すべきは、アメリカ国内の賃金政策や雇用政策に深く根差している、時代遅れな原理を変更する必要性があり、経営者はこのような改革を実現させる先導者として期待されているという点である。

(2)大企業は、技術や事業慣行(たとえば流通システムや組織など)を革新するという従来ながらの役割に加えて、産業政策の改革についてもますます期待されている。たとえば、防衛産業や大規模な公益事業における「準自由市場」に関する基本コンセプトや具体策をまとめることは、政府や経済学者ではなく、企業に期待されている役割なのである。

(3)大企業のマネジメントは、個々の企業とその経営者や株主の専権事項ではなく、公共の利害を考慮したものであることが重視されるようになった。しかし、この点から目を背けようとする経営者には、不自由極まりない政府規制が待っている。

(4)最後に、大企業の経営者たちは、2つの社会的要求、すなわち「企業人であること」と「プロフェッショナル・マネジャーであること」を調和させるような行動規範を強く求められている(注)。その1つに、たとえば経営者報酬について、これら2つの社会的な期待という観点から再検証される必要がある。