女性解放運動は徹底的に行われた

「リケジョ」という言葉が象徴するように、今でこそ理数系に進む女性も増えたものの、90年代の日本では「女性が技術の分野で男性と同等に闘う」などとは普通には考えられないことだった。

 日本では80年代後半になって、男女雇用機会均等法によって「総合職」という言葉が生まれたが、一般的な女性の雇用は「腰掛け入社」とも言われ、結婚までの期間限定というニュアンスが強いものだった。

 かたや同じ頃、上海では“技術系女子”が活躍していた。文革直後に再スタートした大学受験では「理工系の合格者は10人に1人の狭き門だったが、合格者の3分の1が女性だった」(上海の女性エンジニア)といい、“技術系女子”の比率は高い。

 筆者はずいぶん前に、上海で女性の金型設計者を取材したことがある。当時60歳代の初老の女性エンジニアだった宣淑庄さんは、筆者にこんな話をしてくれた。

「1949年以降、中国は徹底的に女性解放運動を行いました。現代中国では、女性の教育や就職の機会を重視しています」

 宣さんはすでに80歳代のご高齢になっていることだろう。だが、翻って、日本には同じ年齢の女性技術者はいるのだろうか。日本の80歳代と言えば、それこそ男性中心の社会から「女、子どもは引っ込んでいろ」と見下された世代である。仮に女性技術者がいたとしても、日本で男性と対等に現場で働いていたとはとても想像できない。

高い消費力を持つ中国人女性

 女性の社会進出を支えたのが、かの毛沢東だった。その有名な語録に「天の半分は女性が支える(婦女能頂半辺天)」がある。女性の力を軽視してはならぬ、という意味だ。当時、中国は職場における男女平等が実現していなかったが、1955年に貴州省の民主婦女連合会が「合作社における男女同額 報酬を実施せよ」と主張し、これが毛国家主席の目にとまったことから、「女性の本格的な社会進出」に火がついたと言われている。

 近年、中国では海外旅行を楽しむ人が増えている。2015年には中国人による「爆買い」も話題となった。同年の観光消費額約3.5兆円のうち約4割が中国人客によるものだったが、化粧品が相当売れたことからも「中国人女性の買い物」が高い比率を占めたことは想像に難くない。