実際にこのとき、すでにヤマザキナビスコカップはグループステージを消化中で、ノックアウトステージに向けて各種の印刷物や展示物などの用意が進んでいた。膨大な手間と、莫大な費用が発生する大会名の変更は大きな決断を要するものだったが、村井は最終的に大会名の変更を決意する。それは、欧州チャンピオンズリーグ決勝の視察で訪れていたミラノでのことだった。

ミラノでの夜に
「恩返し」を決断

 Jリーグ側は当初、「ヤマザキナビスコカップ」の名称を残し、2016年シーズンを戦うことを宣言していた。すでに公式戦は始まっており、シーズン中の名称変更はありえないという判断だった。

 その判断を最終的に変えたのが、村井が飯島とともに訪れていたミラノの夜だった。2016年5月29日の夜だったという。欧州チャンピオンズリーグ決勝という世界最高峰の試合が開催されるミラノは、この1試合のためだけに街中が艶やかな装飾で飾られていた。

「ミラノという街がシティデコレーションで街全体がフットボールになっていて、『やっぱりノックアウトのファイナルって言えばこれですよね』というようなことをずっと言っていたんですよ」(村井)

 サッカーに携わるものとして感じる高揚感もあったのかもしれないが、食事などの席で飯島との時間を共有する中、村井は「ここで大会名を変えなければ恩返しはできない」とばかりに本題を切り出した。

「ナビスコの名前を変えますよ」

 飯島は、「ありがとうございます」と短く伝えたという。村井はこの時の決断について次のように回想する。

「ナビスコカップ」時代のベースカラーは赤だったが、「ルヴァンカップ」になって青に一変した

「飯島社長は、そうしてくれると嬉しいが、そういうわけにもいかないだろうと考えていたのではないかと思っていました。実際に4月の時(前述の27日)に変えましょうかと伝えたときの飯島さんの反応は、『いや、いいんです』ではなかったからです。『えっ?そんなことができるのですか?』というような沈黙があったんです。これは変えてもらいたいのかなと感じてました。

 考えてみると、これは飯島さんにとって難局だったわけです。そこで考えました。これまで24年間、リーグカップの大会スポンサーとして飯島さんには多大な支援をいただいてきた。そんな飯島さんに恩を返せるのはこの場面以外にないのではないかと考えたのです」

 シーズン中の大会名称の変更という異例の決断は、こうして実行された。泡を食ったのは、事業部だった。村井の発言を隣で聞いていた出井は、即座に頭を回転させた。