火花が大火事に発展するきっかけとは何か? 台頭する新興国と、守りに入る覇権国の衝突がいつしか「引くに引けない」状況に追い込まれて戦争に突入する――。その要件を、過去500年の事例から分析し、現代の米中関係への示唆を提示した、アメリカ2017年上半期のベストセラー歴史書『米中戦争前夜 新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』。著者のグレアム・アリソン教授はハーバード大学ケネディ行政大学院の初代学長で、政治学の名著『決定の本質』(日経BP社)の著者として知られ、しかもレーガン~オバマ政権の歴代国防長官の顧問を務めた実務家でもあります。壮大な歴史から教訓を得て、米中関係を中心に世界のパワーバランスはどう変わるのか、そしてそのとき日本はどう動くべきか、を考えるうえの必携書である同書発売を記念して、その一部をお届けします。

 森林管理当局ではよく知られることだが、山火事の原因で放火が占める割合は、実はきわめて小さい。はるかに多いのは、タバコの火やキャンプファイヤーの不始末、産業事故、落雷だ。さいわい森林でも国際関係でも、ほとんどの火花は大火災にはつながらない。

偶然や不確実性が戦争突入を加速させる!新旧大国の関係と米中両国の今後を考える開戦のきっかけは、そこここに転がっている

 現在の米中関係の場合、火花を大火事に発展させる環境的な要因は、地理、文化、歴史から、それぞれが近年の軍事行動で得た教訓まで幅広い。ドイツとイギリスのケースとは異なり、アメリカと中国は地球の裏側に位置する。このため、中国の戦略家らはよく、米中の艦艇がカリブ海で偶発的に衝突する可能性はゼロに近いことを引き合いに出す。それは中国が「アメリカの海」をうろついていないからであり、アメリカもそれにならって引っ込んでいれば、東シナ海や南シナ海で米中の艦艇が衝突するリスクはなくなるはず、というのだ。米国防総省にも、「距離の過酷さ」ゆえに、米軍が東シナ海や南シナ海でまともな対中作戦を展開できるのか疑問視する声がある。

 だが、現在の米中関係で最も関連性の高い環境的要因は、覇権国と新興国の力学が生み出すトゥキディデス・シンドロームだ。この環境要因は中国の屈辱の世紀、とりわけ日本の侵略・占領時代の残虐行為に対する怒りに照らして考えると、一段と深刻だ。だから東シナ海の島の領有権問題は、特に大きなリスクをはらんでいる。安倍晋三首相、あるいはその後継者によって日本の平和憲法が改正され、日本が軍事力、なかでも海からの上陸能力を増強すれば、中国は「注視する」以上の行動を起こすだろう。

 「歴史とは国家の記憶だ」と、キッシンジャーは初の著書(A World Restored: Metternich, Castlereagh, and the Problems of Peace)で述べている。その記憶は、未来に向けた国家の決断に大きな影響を与える。アメリカは第二次世界大戦後に介入した五つの戦争のうち、四つで敗北するか、少なくとも勝っていない。アメリカも中国も、そのことを十分意識している。朝鮮戦争はせいぜい引き分けだし、ベトナム戦争は負けた。イラクとアフガニスタンはいい結果になる可能性は低い。1991年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領が始めた湾岸戦争だけは、サダム・フセインのイラク軍をクウェートから撤退させて明確な勝利を収めた。ロバート・ゲーツ元国防長官はその事実を踏まえて、自明なことを指摘した。「将来、米軍の大規模な部隊をアジアか中東、あるいはアフリカに再び派遣するよう大統領に助言するような国防長官は、マッカーサー将軍の上品な表現を借りれば『頭を検査してもらうべきだ』」と。

 さらにここ数十年、米軍を戦争に送り込んできた政策当局者たちは、戦闘で米兵の命を失うことに大きな抵抗を示すようになった。犠牲者をなるべく出したくないと考える傾向は、戦略面に深刻な影響をもたらしている。兵士が危険にさらされるという理由で、特定の作戦分野全体が選択肢から外されることもある。その一方で、政治家も勝利について語ることが減り、兵士を守ることを気にかけるようになった。中国指導部はそれに気づいており、戦略を立案するとき考慮に入れるようになった。

 マッチとガソリンの関係のように、偶発的な衝突事故や第三者の挑発が加速要因となって戦争に発展する場合がある。クラウゼヴィッツは、さまざまな加速要因を総称して「戦場の霧」と呼んだ。トゥキディデスは、戦争とは「偶然が重なった出来事」と述べたが、クラウゼヴィッツは『戦争論』でそれを発展させ、「戦争とは不確実性の領域だ」と述べている。「戦場における行動を左右する要因の四分の三は、不確実性の霧に包まれている」。こうした不確実性のために、指令官や政策当局者は攻撃的な行動をとる場合がある。あるいは、その逆の場合もある。

 1964年、トンキン湾で哨戒活動をしていた米駆逐艦マドックスが、北ベトナム軍の攻撃を受けた。2日後、マドックスが二度目の攻撃を受けたという情報が入った。北ベトナム軍の大それた行動に憤慨したロバート・マクナマラ米国防長官は、議会を説得して、トンキン湾決議法案を採択させた。北ベトナムに対する事実上の宣戦布告だ。ところがそれから数十年後、二度目の攻撃の情報は間違いだったことを、マクナマラは知った。「つまり、ジョンソン大統領は、実際にはなかった二回目の攻撃に対して北爆を許可したことになる」と、マクナマラは書いている。たったひとつの間違った警鐘が、アメリカをベトナムという泥沼に引きずり込む重要な役割を果たしたのである。