典型的なのでは、中核派なんてデモをしただけで、勝利とかいう言い方をする。それはおかしいじゃないかと。むしろ一般学生の方から武装闘争の流れが出てきて、それが赤軍派と結び付いていくという展開になっていきます。

 その中で中心になっていくのは、武闘闘争と党派との関係。それがその後もずっと続いて、無政府的で組織されていないということに対して、党派がちゃんとしようと、一種の囲い込みをする。

 その中で、僕らの場合も、問題があったわけ。赤軍派としても組織体制を作りたいというところで共産主義化という考えが生まれてきた。ただ、僕らの場合は武装しちゃっているわけで、そういう形が強烈に出てきた。

 よく言うんですけど、総括要求とかする中で暴力が出てきたわけだけど、これはもう、早い話が中国のプロレタリア大革命。政府軍の運動のミニ版。そういう問題にバーンとぶつかってしまった。私らにとっても想定外だったし、何が何だかさっぱり分からない。結局、あさま山荘事件で終わってしまったわけですが、そういう新しい問題を抱えてしまったというのが、僕らの運動の現実だったと思う。

 あれによって左翼運動は確かに衰退はしてしまったけど、衰退の最大の理由は、やはりベトナム運動が終わったことなんだろう。米国の敗北で反戦運動は下火になって、それで左翼運動も下火になる過程に入った。でも問題はやはり連合赤軍の問題で、左翼が抱えている問題が表に出てしまった。これをどうするんだと。

独房から手紙で論争
赤軍派自身の総括

――逮捕後、出所まで27年間。

 まあ僕は獄中にずっと入るはめになったわけですが、連合赤軍の問題を正面から考えていこうと。左翼運動、特にロシア革命以降の労働運動。革命の歴史は粛清の歴史でもあるわけで、そういう問題を僕ら自身も抱えてしまったことによって、ロシア革命以降の革命を再点検し直そうと思った。どこに問題があったのかを問い直すことが私自身の獄中での行動になり、27年間はあっという間だった。原稿書いたり、文通で論争したり、大変だったわけですよ。