村田諒太選手の愛読書としても話題のマイク・タイソン自伝『真相』。村田選手はボクシング界の頂点に上り詰めたタイソンが失墜していったのは、結局モチベーションを無くしてしまったがゆえだと知り、自身の戒めにしていると語っています。タイソンがモチベーションを失った最大の原因である、師カス・ダマトとの別れについて、『真相』からハイライト部分を紹介します。

カス・ダマトとの別れ

 1985年3月、タイソンは衝撃の1ラウンドKOでプロデビューを果たす。その後も破竹の勢いで連続KO勝ちを続けるタイソンとダマトの師弟コンビ。マスコミの注目を集め、最大の目標である世界ヘビー級タイトル挑戦も現実味を帯びてきた頃、ダマトの身体には病魔が忍び寄っていた──。
世界最強のマイク・タイソンが頂点から転げ落ちた最大の原因とは?タイソンとダマトは深い絆で結ばれていた (Photo:(c)Ken Regan/Camera 5)

 俺がキャッツキルの家に移り住んだころから、カスは病気をかかえていて、慢性的に咳をしていた。このところ俺の試合に同行しないことが続いたから、病状の悪化は察していた。ロングやコーリーとの試合のときは家にいたが、ベンジャミン戦はレイサムの会場へ観に来ていた。

 病気なのはわかっていたが、俺がチャンピオンになる瞬間は必ず見届けてくれると信じていた。ずっと二人でこの夢を追ってきたんだ。だが、カスは次第に気弱になってきた。「俺はそばにいられないかもしれないから、よく聞いておけ」なんて言うこともあった。俺を矯正するための脅しとばかり思っていた。いつも俺の自覚をうながすようなことばかり言ってたからな。

 カスはオールバニイの病院に入院したが、ジミー・ジェイコブズがニューヨーク市内のマウント・サイナイ病院に転院させた。俺はスティーヴ・ロットと見舞いに行った。カスはベッドに座ってアイスクリームを食べていた。三人で少し話をしたあと、カスがスティーヴに、俺と二人きりにさせて欲しいと頼んだ。

 嫌な予感がした。カスは、自分は肺炎でもう長くはもたないと言った。そう言われても信じられなかった。そんな重病人には見えなかったからだ。たしかに顔色は悪かった。しかし、まだまだ元気も熱意も感じられた。目の前でアイスクリームも食べているじゃないか。カスは冷静だったが、俺はパニックに陥り始めた。

「あんたなしで、こんな苦しいことには耐えられない」俺は涙をこらえながら言った。「そんなこと、できっこない」

「おいおい、真面目に戦わなかったら、化けて出て、お前に一生に取り憑いてやるからな」

 カスには珍しいジョークだった。彼の病状は本物だと悟った。

「わかったよ……」

 やっとの思いでそれだけ口にすると、カスは俺の手を強く握り締めてきた。

「世界がお前を待っているぞ、マイク! お前は世界チャンピオンになる。いちばん強い男に」

 カスの目から涙があふれてきた。彼が泣くのを初めて見た。俺が世界ヘビー級チャンピオンになるのを見届けられないのが、彼にとってどれだけ悔しいことか。だが、彼の涙は俺だけのものじゃなかった。カスはカミールのことも気に病んでいた。彼には俺よりずっと大事なパートナーがもう一人いることを、すっかり忘れていた。税金の問題があって、カスはカミールとは結婚していなかった。彼はそのことをとても後悔していると語った。

「マイク、ひとつだけ頼みがある」彼は言った。「カミールの面倒を見てやってくれ」

 俺はただうなずいて、手を握り返すことしかできなかった。

 翌日、俺は前の何試合かで入ったファイトマネー12万ドルの小切手をジミー・ジェイコブズに預けに行った。銀行に入る直前、ジミーが立ち止まった。

「カスは今晩、持ちこたえられないだろう。あと数時間の命だそうだ」

 この世の終わりが来たみたいに、俺は泣きだした。実際、俺の世界は終わったも同然だった。銀行の女の子たちがびっくりして俺を見つめていた。

「どうしました?」店長が近寄ってきた。

「私たちの大切な知人が危篤と知って、マイクはショックを受けているんです」と、ジミーは言った。ジミーは冷静だった。みごとなまでに感情を見せなかった。俺がカスにそうなるよう仕込まれたみたいに。いっぽう俺ときたら、任務中に将軍を失って敵地に放り出された兵士みたいに、ただおいおい泣くだけだった。