史上最強かつ最凶と言われた天才ボクサー、マイク・タイソン。彼自らが激動の人生を綴った『真相──マイク・タイソン自伝』のハイライトシーンを紹介する連載の第4回。
世界チャンピオンとなったタイソンの周りには、金だけが目当ての人間が群がるようになる。私生活もボクシングも荒れ始め、次第に戦いへの情熱を失っていくタイソン。そんななか、東京で運命のタイトルマッチが開催された。絶頂を極めた男の悲劇的な転落が始まる──。
堕落しきった
東京でのトレーニング
1990年1月8日、空路東京へ向かった。文句を垂れて、わめき散らしながら。試合なんかしたくなかった。あのころ興味があったのはドンチャン騒ぎをして女と寝ることだけだった。出発の時点で体重が30ポンド増えていた。ドン・キングはその点を心配して、1ヵ月後の試合でいつもの体重に戻っていたらボーナスを出すと申し出た。
1966年生まれ。アメリカ合衆国の元プロボクサー。1986年にWBCヘビー級王座を獲得、史上最年少のヘビー級チャンピオンとなる。その後WBA、IBFのタイトルを得てヘビー級3団体統一チャンピオンとして君臨。しかし2003年に暴行罪によって有罪判決を受けるなど数々のトラブルを巻き起こし、ボクシング界から引退。アルコール・麻薬・セックス中毒のどん底状態から過去の自分を反省し、自己の人生を語るワンマンショーで成功を収め、新たな幸せと尊敬を得る。2011年、国際ボクシング殿堂入りを果たす。2013年に『真相:マイク・タイソン自伝』を上梓。写真左は元妻のロビン・ギヴンズ。(Photo:© Misha Erwitt/New York Daily News Archive via Getti Images)
バスター・ダグラスは大した相手じゃないと侮っていた。ビデオで試合を観ることさえしなかった。あいつをKOしてきたボクサー全員に楽勝していたからだ。俺がまだ前座だったころ、ESPNトーナメント王座を懸けた試合を観たが、俺がABCで初めて全国放送された試合でKOしたジェシー・ファーガソンに負けていた。
自分の英雄のミッキー・ウォーカーやハリー・グレブになった気でいたんだな。グレブが対戦相手に「お前なんか汗をかく値打ちもないから練習してこなかった」と言った話を読んでいた。だから俺もそれに倣った。アンソニー・ピッツが早起きして、俺のスパーリング・パートナーのグレッグ・ペイジと走っていた。だが、俺はやる気になれなかった。アーミー・ブーツに防寒マスクで走り込んでいるバスターをよく見かけるとアンソニーが言っていた。