こうした飯島のJリーグとの距離のとり方について、村井満チェアマンが次のように述べている。

「我々に対して全幅の信頼を置いてくれています。Jリーグのことを信じて全てを委ねていただいているので、逆にこっちは緊張感が増します」

 そうした飯島の思いに応えるべくJリーグは、ルヴァンカップの大会方式を少しずつ改良してきた。一例として挙げられる「21歳以下の若手選手起用の義務化」については連載4回目「ルヴァンカップが名選手を輩出し『若手の登竜門』となった軌跡」に書いた通り。これまでがそうだったように、これからもその時々のサッカー界をめぐる状況に応じて微調整は続いていく。

Jリーグ都合による中断にも
文句や要望を一切言わず

 サッカーのことはサッカー界の人たちに任せるという姿勢を貫く飯島は、川淵三郎Jリーグ初代チェアマンが申し訳なさそうに話す1995年のことも、意に介することがなかった。

 ヤマザキビスケットの協賛は、ヤマザキナビスコカップとして創設された92年以降途切れることなく続いているが、95年だけはリーグカップそのものが開催されていない。これはJリーグ側の都合による。

「飯島さん、本当に良い人でね。Jリーグからもいろんな無理を言ったんですが、その中で一番ひどかったのが、1年間カップ戦を中断させてくださいという話で…」

 申し訳なさそうな口ぶりで川淵が続ける。

「あれは95年ですが、スケジュールがタイトでね。過去で一番試合数が多いんですよ。リーグ戦だけで年間52試合もやっているんです」

 このときのJリーグは14クラブが参戦しており、大会としては2ステージ制を採用していた。ファーストステージ、セカンドステージの両ステージでホーム・アンド・アウェーの2回戦総当りのリーグ戦。つまり年間で換算すると4回戦総当りの52試合ということになる。これはJ2、J3を含めてJリーグ史上最多の試合数で、カップ戦を行う“余地”がなくなってしまったのだ。

「それで飯島さんのとこへ頼みに行ったんだよね。怒られて当然だと思ったんだけど、それこそ快諾していただいて。こちらからお願いしてスポンサーになってもらっているのに、3年で中断してくれだなんてひどい話ですよ。ところが飯島さんからは文句も要望も一切ないんです。もうちょっとこうしてほしい、ああしてほしいとか、そういうことを言われた方がこちらの気持ちは楽なんですが、そういうことを言われた記憶は一切ない。だから申し訳ない気持ちしかないんです」

 サッカー界に対する「リスペクト」が伝わる逸話だが、その姿勢は選手に対しても同じだ。