2名の生活保護ケースワーカーは、被災者に対する減免が終了した後、言い換えれば医療費や介護費用の負担によって生活保護以外の選択肢がなくなる人々が増加する近未来を視野に入れて、生活の窮迫・困窮などの相談に備えている。現在はまだ、そういう事態は発生していないのだが、「2名いるから細かい対応や細かい相談に応じられている」ということだ。

 私は唸ってしまう。「平常時でもギリギリ」という人員配置で、非常時に対応できるわけはない。ケースワーカーの人員だけでなく、生活保護という制度そのものに、常に一定の余裕が必要なはずなのだ。

「何もできない」
被災自治体のもどかしさと無力感

 陸前高田市民生部長の菅野利尚氏は、自分の所属していた課の11名の職員のうち3名が津波の犠牲となり、資料も流失してしまった当時を思い起こしながら、厳しい表情で語る。

「もどかしかったのは、避難所に多くの住民の方がいて困っていることは認識しているのに、できることがなかったことです。職員がいても手段がないと、行政機能は果たせないんです」(菅野氏)

 市庁舎も通信手段も、津波で大きな被害を受けた。情報を周知する手段は極めて限られている。そうこうするうちに、全国から支援物資、ボランティア、そしてマスコミが集まってくる。対応しないわけにはいかない。さらに、遺体安置所の受付・案内・検視や処置への対応といった業務が加わる。自らの家族が犠牲になったり被災していたりしている職員たちが、通常の市役所業務ではない、そのような業務に対応しなくてはならないのである。

 市役所と地域がいまだ混乱の中にあった2011年春から初夏にかけて、児童扶養手当や義援金が該当者に配布されていないことが、マスメディアに批判的に報道されたこともあった。菅野氏は「批判されても仕方のない部分」だと認識している。被災者が受け取れるはずの現金を受け取れていなかった現実は、確かにあった。しかし、行政もすべてを失っていた。現実の問題として、給付したくてもできなかったのだ。

 このような場合、「よそ者」のメディアにできることがあるのだろうか。せめて、行政も含めて関係者の状況を理解し、情報の確度を見積もり、「煽り」ではない情報を伝えようとする努力だけは手放したくないものだ。