「で、肝心のレコードは売れたんですか?」

「売れないですよ。だって、キャンペーンって言ったらふつうはお客さんからリクエストが来て、ママとデュエットしたりして、さすがは本職、歌が上手いね、と思わせてレコードを買ってもらわなくちゃいけない訳でしょ。それなのに、ぼくの歌は下手くそ。リクエストが来ても、ほかの人の曲なんてぜんぜん歌えないんですから」

 彼が恐るべき強運の持ち主でなかったならば、さいたまんぞうの物語はここで終わっていたのかも知れない。ところが、キャンペーンを始めて数ヵ月後の1981年2月26日の深夜、思いもかけない出来事が起きた。

「たぶん、お父さんがどこかの飲み屋さんでレコードを買ったんでしょうね」と、さいたまんぞうさんは想像する。

「どこの誰かはわからないんですけれど、どういう経緯でか、あの『なぜか埼玉』を入手した高校生がタモリさんのオールナイトニッポンに、それを投稿してくれたんです」

「なぜか知らねどー♪」

 抑揚のない歌い方とそのメロディーが全国へオンエアされると、「なんだ、あのヘンな歌は?」とたちまちリスナーの間で評判となり、それをたまたま聴いていたメジャーレーベルの幹部が「これは売れる」と飛びついて、音源・ジャケット写真込みで師匠からそっくりそのまま買い取り、瞬く間に「さいたまんぞう」をメジャーデビューさせてしまった。

「だから、ぼくはある種、シンデレラボーイ」

 自家製のヨーグルトパックでつやつやになったお肌を輝かせ、さいたまんぞうさんが言う。

 仕事は当然、前よりも忙しくなった。『週刊平凡』や『週刊明星』のグラビアも飾り、当時人気のワイドショーや深夜番組にもゲスト出演した。

「ほんとにね、これが芸能人というものかと実感しました」

 ところが、だ。そんな人も羨むシンデレラストーリーの渦中にいても、牛房公夫さんの生活はそれほど変わりはしなかった。

「引き続き、月給制でしたからね」

「いくらで?」

「やっぱり月10万円くらい」