グルーミング=小菅 孝 撮影協力=アンダーズ 東京
>【Part 1】 テニスコートが最高の遊び場という認識でした
>【Part 2】 大好きなテニスが毎日できる環境を求めた
もう一度テニスというスポーツの素晴らしさにも気付かされた
─ 引退時で8位でした。当時はもったいないという声が多かったと思うのですが。
そう言っていただきましたね、当時は(笑)。でも、まあ自分自身の捉え方も、考え方も、一つひとつが、まだ器も小さかったし、イッパイイッパイでしたね、当時は。
いまのように世界で活躍する日本人アスリートもいなかったので、すべてが自分にのしかかってくることに耐えることができなかったのです。
─ それで、引退されました。その直後はどんな感じでした。
何もやってなかったですね。もう、本当にテニスから離れたかったので。テニスも一切しない。スポーツも一切しない。テニスも見ない。テニス会場にも行かない。
─ キッズテニスはもう少し後ですか。
2年位経ってからですね。それまでは、本当にかけ離れた時間でしたね。とにかく普通のことがしたかったのです。旅にも行きたくない。ホテルも泊まりたくない。そういう感じでした。
伊達さんがファーストキャリアを終えた後、98年から始めた「伊達公子とテニスであそぼ カモン!キッズテニス」。主に低学年の子供たちを対象にしたもので、伊達さんがテニスの楽しさを教えている。
─ それで、2008年に11年半ぶりに復帰されるわけですが、きっかけはエキシビションですか。
そうですね。それがきっかけになったのですけど、その前にキッズテニスをやって、またテニスとの距離が近くなってきて、テニスに対する考え方というのが、少し離れたことによって変わってきてました。
もう一度テニスというスポーツの素晴らしさにも気付かされたし、距離を縮めてもいいかなと思える自分もいたし、それが選手という形になるとは想像しなかったですけども、そうなれたのはエキシビションがきっかけですね。
2008年3月15日、東京・有明コロシアムにてシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワとともにエキシビション・マッチを行い、ここで伊達さんが2試合ともに勝利を収めた。ツアー復帰のきっかけとなった大会だ。
(写真/時事)