韓国で文在寅大統領肝いりのアイスホッケー「南北合同チーム」が物議をかもしているが、実は日本でも事情は似たり寄ったり。五輪をスポーツイベントではなく、「国威を見せつけるための政治イベント」として捉えている人が多いからだ。これは韓国や中国、旧ソ連圏などと同様に、日本人が今でも抱えている醜悪な考え方である。(ノンフィクションライター 窪田順生)
スポーツ選手は二の次!
五輪は「政治の祭典」である
今月24日、安倍首相が平昌五輪開会式に出席する意向を固めた、という報道があった。
現時点でまだ正式な発表はされていないが、「従軍慰安婦」に関する日韓合意のちゃぶ台返しにはらわたが煮えくり返っている「ネトウヨ」のみなさんからは、「なぜボイコットしない!」「このまま国交断絶すべきだ!」という怒りの声が上がっている。
このあたりの是非については立派な評論家やジャーナリストの方々が論じていらっしゃるが、個人的にそれよりも興味深いのは、多くの人が薄々勘づいていながらも目をそらし続けきた「現実」が、今回のドタバタによって、図らずも浮かび上がってきてしまったことだ。
それは、五輪が「スポーツの祭典」というのは建前的な理想論であって、その実態は脂ギッシュなおじさんたちが駆け引きを行う、コテコテの「政治の祭典」に過ぎない――という「醜悪な現実」である。
本来はアスリートという「個人」が競い合い、「国家」はそれを応援するものなのに、いつの間にやら当事者よりも、「国家」の方が前のめりになって、「五輪で友好」「五輪で景気回復」「五輪で世界中にこの国の素晴らしさを誇示するチャンス」などというスケベ心が大きくなっていく。
自民党の二階幹事長が16日の記者会見で首相開会式出席について、「大変重要な政治課題」と述べたが、この言葉からもわかるように、ほとんどの政治家は、五輪を国家の威信やメッセージを表明する政治的パフォーマンスの場だと思い込んでいる。
それの何が悪いという愛国心溢れる方もいるかもしれないが、大変マズい。