公開討論で勝ち負けを競うことに意味はない
橋下さんは、私たちのような批判を向ける人たちに対し、テレビの討論番組に出演することを要求しています。
しかし、こうした問題は、テレビなどの公開討論の場で勝ち負けを競うような性質のものではないのではないでしょうか。意見の違いが、ディベート技術の競い合いで発展的なものにつながると思えないからです。
短時間で行われる公開討論のなか、その場の感情や雰囲気でやり取りをしても、見ている人にライブとしての面白さは提供できても、それで相互の意見の理解が深まるものでしょうか。
私がなぜ社会病理的なものを感じているかという点について、もし橋下さんがお聞きになりたいと思われるのであれば、落ち着いて推敲した文章という形でお渡しすることはできると思います。
それでも、と言われたら、もちろんテレビの前で議論することもあるかもしれませんが、仮にその場のディベート技術で橋下さんに言い負かされた形になったとしても、今後の政策や言動を見て行く中で、「おかしい」と思うことは「おかしい」と言うと思います。
私が問題だと感じている現象がある限り、見て、分析して、言うべきときには批判的な意見を言うということに変わりはありません。
ただ、なぜ自分が得意とするテレビ討論というフィールドでのみ、論戦を交わそうという手法にこだわるのかがわからないのです。