いまだからこそ必要な「リダンダンシー」の視点
私は高齢化社会をテーマとした、政府のある委員会に参加させていただいております。その会合でこんなことをおっしゃる方がいて、とても印象的でした。
「こういうことを決めるときには、窓口を一本化するなどという効率化も大事だが、ある種のリダンダンシーも必要じゃないか」
リダンダンシーとは冗長性のことです。この場合、必要最低限のものだけでなく、ある程度の余地や重複がある状態を指しています。
例えば、買い物に不自由している高齢者の方がいたとします。
その対策として、高齢者のための「御用聞き」のような制度を作ります。御用聞きが必要な物をすべて買い揃えることで、高齢者の負担は軽くなります。
仮にそうした制度ができても、地元の商店に買い物に行きたいと考える方もいるでしょう。御用聞きの制度ができたからといって地元の商店を廃止するのではなく、どちらでも選べる状態にするのが望ましいという考え方です。
同じような行政サービスは二ついらない、それは税金の無駄だと考えるのが現代の風潮です。しかし、場合によっては、同じようなものが重複していることも、大切なことではないかと思うのです。
ハローワークで仕事を探しても見つからなかった人がいたら、効率化が徹底された社会では、ほかに仕事を探す場所はもうありません。しかし、完全に情報を集約する仕組みも漏れや誤りはつきものです。そんな時、違うところにも仕事を探せる場所があるほうが、豊かな社会だとは言えないでしょうか。それは探す人の気持ちや性格によって選択肢が増えることでもあります。
過度に効率化が叫ばれている現代社会だからこそ、こうしたリダンダンシーという視点も忘れないようにしたいものです。