改めて「ほどほど論」について考える
「ほどほど論のススメ」というテーマで、1年近く連載を続けてきました。なぜ今、このテーマを選んだのか。思い返すに、「ほどほど」という感覚が人々から失われつつあることに対して問題提起をしたい。そんな思いがありました。
そもそも「ほどほど」とは何か。私は二つの意味を想定しました。
一つは、「何かに取り組む時には100%全力投球しなければならない」といった「やりすぎ」に対する疑問です。一生懸命やって成果が出ている時はいいですが、いつもそううまくはいかない。特に今のような時代は努力が報われないこともままある。頑張って頑張って力尽きてしまった時にはもう立ち直れなくなってしまう恐れもある。こうしたリスクを提言したいと考えたのです。
もう一つは、何にでも白黒つけたがる思考に対する疑問です。最高か/最低か、0点か/100点か、正しいか/正しくないか、というふうに二者択一的に判断しようとする風潮が行きすぎてはいないか。多様な価値観や生き方を否定することにつながらないのか。警鐘を鳴らすべきではないかと考えたのです。
つまり、両方に通じるのは、「ほどほど」とは真逆の「極端」を求める方向性です。
先が見えない混沌とした時代だからこそ、極論にも似た明確な答えや指針が求められるのでしょうか。ネットでのコミュニケーションが自由に行われるようになり、短い言葉で言い切るような表現が好まれることの影響もあるのでしょうか。1年間、様々な切り口で「ほどほど」について考えてきましたが、つくづく「世の中は極端に振れることが多いなあ」と感じます。しかも、その傾向は強まっているようにも見えるのです。