個人ではなく社会現象に病理を感じているにすぎない

 橋下さんに関する私の発言を指して、橋下さんは「会ったこともない人を精神病呼ばわりしている」と批判されています。

 ネット上でも同じような批判が書き込まれていますが、これだけははっきりと申し上げておきます。

 私は、橋下さん個人が病気だとは言っていません。

 確かに、大阪市長選挙の際は反対陣営の平松さんを応援する中で、これまでマスコミで報じられている橋下さんの特徴を分析し、そこに見られる心理的傾向を類推する発言はしました。それでも、橋下さんご自身を病気だと“診断”したわけではありません。

 私は橋下さんにお会いしたことはありません。橋下さんがおっしゃる通り、お会いしたことも、というより治療関係にもない人に確定診断を下すことはできません。いえ、もし万が一、お会いした人に「この人、病気なのでは」と思ったとしたら、もっと言えるはずはないじゃないですか。実際にこれまで対談などを通して社会的地位のある人に、病的傾向を感じたことは何度もありますが、逆にそういう話はいっさい公にはしていません。

 私は、社会的な発言をするときのルールを自分に科しています。

 まったくメディアに出ていない一般の人については批判しません。メディアに日常的に露出している公人、あるいは犯罪にかかわった人物などに限定しています。

 そのうえで、例えば公人を批判する場合は、見ている人にはわかりにくいかもしれませんが、マスコミで公開されている発言や行動に限って分析対象として、これまで経験してきた中での似たパターンを提示することにとどめています。

「この方がこういうことをおっしゃるということは、こういうことが起きている可能性があります。だとすれば危険な兆候ですね」という具合です。

 つまり、そういう人が登場してきた背景に存在する社会現象を通じて社会を読んだり、時代精神を読んだりしているのです。

 ただ、その分析には社会現象を象徴する個人が含まれることもあります。触れざるを得ないときには、細心の注意を払います。

 繰り返しますが、橋下さんご自身の内面的なことを問題にしているのではありません。私は、テレビやネット、新聞や雑誌などのメディアに流れていて、誰にでも触れることのできる橋下さんの発言や行動から見えてくる〈橋下的なもの〉に対して物を言っているだけなのです。

 個人的にお会いしたとしても、その印象を公の場で語ることはありません。仮にその方の精神的な何かを感じたとしたら、なおさら普段の言論にも注意深くなるものです。精神科医という仕事柄、多くの人に誤解を与える恐れがあるからです。