理由の一つは「友人だから」

 さて、イスラームに話を戻しますが、イスラームというのは基本的に個人救済の宗教です。人間一人ひとりが最後の審判でアッラー(という万能の創造主)の前に立たされ、現世の個人の行いについて裁かれるのです。他人のことは全く関係ないと言っても過言ではありません。一対一の詰問です。その試験の結果によって人間が救済できる(永遠の楽園に入る)か、救済できない(永遠の地獄に堕とされる)かのどっちかだけです。その他の道はありません。イスラームには、キリスト教のように『煉獄』はありません。無論、答えというのはその場でこしらえたものではなく、現世で生きている間の自らの行いが答えとなるのです。

 ならば何故、ムスリムである友人は、他人の行いが彼らの救済に全く関与しないにもかかわらず、こんなにも熱心に私にイスラームを勧めてくるのかと、日本人は疑問に思うでしょう。

 その疑問の答えは二つあると私は思います。

 一つは、冒頭の話と上の疑問の言葉にヒントがあります。それは「仲良く」しているから、あるいは「友人」だからです。

 経験のある方はきっと感じたことと思いますが、仲良くなればなる程このお勧めが強くなります。友人であればある程しつこくなります。

 他の宗教にもその要素が多少はあるのですが、ムスリムは自分の宗教、つまりイスラームが絶対正しいと信じています。それが絶対の真実であると思っています。上記の最後の審判において、正解はイスラームのみにあります。それを知らなければ、人間は絶体絶命の危機に遭います。ですから「仲良く」しているからこそ、「友人」だからこそ、その答えを教えてあげたいのです。例えるならば、悪い病気に患い、死に直面している大事な人に、自分だけが知っている万能の薬を勧めるのと同じ気持ちです。「お願いだから呑んで」と、必死になります。