「あのときはまだ、ワールドカップは本当に遠い存在だったからね。こうしてワールドカップにも出られるようになると、今度は出るだけではなく決勝トーナメントに進出しないとみんなから批判されるというか。ものすごいプレッシャーがかかるだろうし、どんどんハードルが高くなっているよね」

カズには届かなかった「ワールドカップ」

 ワールドカップへと続く扉に、初めて手をかけたのは1993年10月28日。勝てば無条件でアメリカ大会出場が決まるイラク代表とのアジア最終予選の最終戦で、後半アディショナルタイムに喫した悪夢の同点ゴールともに夢は砕け散った。

 今も語り継がれる「ドーハの悲劇」にカズが、司令塔のラモス瑠偉が、アジア最終予選が集中開催されていたカタールへ日本から大声援を送っていたファンやサポーターが涙した。それでも、不屈のスーパースターは再び時代の先端を走り出した。

 イタリア・セリエAのジェノアへ、1年間の期限付きで移籍したのは1994年6月。日本を含めたアジア全体で初めてのセリエAプレーヤーとなり、12月4日のサンプドリア戦では初ゴールを決めた。

「今ではヨーロッパで日本人が活躍するのが、どんどん当たり前になっているよね。僕がイタリアへ行ったころはゴールすれば新聞でも何でも大きく取り上げられましたけど、今はゴールしたくらいではそんなに大きく取り上げられなくなってしまった。ものすごく大きな変化だなと思います。

 それだけみんなの認識が高くなった証ですよね。Jリーグのクラブ数が増えたのもそうですけど、世界でもここまでのスピードで発展するのは稀というか異例と言っていいですよね。日本人の勤勉さや、みんなが協力し合える規律の高さがあるからこそだと思いますよ」

 カズは、ヴェルディ復帰後の1996シーズンには初めて得点王を獲得。しかし、30歳を迎えた1997シーズンからコンディションが上がらず、2年間でわずか9ゴールに終わる。日本が初めてワールドカップに出場したフランス大会の代表からも直前で外れ、1998シーズンのオフには戦力外を告げられた。