普通に考えれば、その憶測は理屈に合わない

 特別手配中だった平田信容疑者が出頭した理由について多くの識者やメディアは、麻原の死刑執行を引き延ばすための出頭ではないかとの憶測を口にした。でも麻原死刑執行の可能性が最も高かった時期は、12月初旬から中旬だ。もしも執行引き延ばしを目的にするならば、オウム裁判がすべて終結したとされた11月下旬には出頭していないと理屈に合わない。難しい話ではない。普通に考えればわかること。ところが普通に考える人がとても少ない。

 平田が身ぎれいな格好で現金を持っていたことなどを理由に、逃亡を支援していた組織が背後にあるはずだなどの論調も多かった。危機管理評論家の肩書を持つ佐々淳行は、ネットメディアで以下のように主張する。

 「警視庁と警察庁の警備課長を務め、他国の諜報機関や国際テロ組織、極左団体、カルト集団などを監視・分析してきた私の経験から言う。金総書記の死去が昨年12月17日で、平田容疑者の出頭が同31日。この二つがつながっている可能性は十分にあり得る。(中略)16年10カ月におよんだ平田容疑者の逃亡生活を支援するには、特異なイデオロギー、もしくは宗教を背景にした組織でなければ無理だろう。現在、警察が徹底的に捜査しているはずだが、私は日本国内にこうした組織は、オウムの残存組織か、北朝鮮系テロ支援組織しかないと思う。」(ZAKZAK)

 中略した個所には、金正日死去と平田出頭が繋がっている可能性があると断ずる根拠らしき要素が書かれているのだけど、率直に書けば、どうもよくわからない。根拠にするにはあまりに薄弱だ。興味がある人はネットで検索して読んでほしい。

あらゆる可能性を検討することは大切だが……

 もちろん、あらゆる可能性を検証することは大切だ。それは否定しない。でもその可能性の間口が、あまりに広がりすぎている。いくらなんでもそれはありえないとの理性が、(オウムを方程式に代入した瞬間に)なぜか機能しづらくなっている。「~に違いない」とか「~のはずだ」とか「~の可能性がある」などの述語が、あまりにも蔓延しすぎている。

 つまり謀略史観だ。