「怪物」と呼ばれた平山相太、早すぎる引退に至った苦悩と挫折写真:YUTAKA/アフロスポーツ

長崎県の強豪・国見高校時代から「怪物」と呼ばれ、日本人離れしたサイズを武器とするストライカーとして将来を嘱望された平山相太さん(32)が、4月から仙台大学体育学科の1年生として第二の人生を歩み出す。ベガルタ仙台と今シーズンの契約を更新しながら、左足首のケガが癒えなかったこともあって、今年1月26日に現役引退を電撃的に発表。今現在は長崎総合科学大学附属高校を率いる高校時代の恩師、小嶺忠敏氏(72)の大きな背中を追い、指導者への道を歩むと決意するまでに抱いてきた苦悩や葛藤、オランダやFC東京時代を含めて直面してきた挫折を、新たなエネルギーに変えてきた軌跡をあらためて振り返った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

“敵地”で引退セレモニー開催

 190cm、85kgのサイズを誇る平山相太さんの体がひときわ大きく見えた。FC東京とベガルタ仙台の選手たちがすべて引き揚げた、味の素スタジアム内の取材エリア。その一角に急きょセッティングされた、高さ30cmほどのお立ち台に上ったのだから無理はない。

 周囲を幾重にも取り囲んだメディアを見下ろす自らの体勢に、心なしか恐縮していたのか。スーツにネクタイ姿の平山さんはちょっぴり前屈みになりながら、誰からも愛された人懐こい笑顔を浮かべた。

「最後の囲み(取材)ですね。本当にありがたいです」

 今月3日に行われた、明治安田生命J1リーグ第2節後の微笑ましい光景だった。最後の所属チームとなった仙台から1月下旬に現役引退が発表され、2月下旬には仙台市内で記者会見も済ませていた平山さんが、引退セレモニーを終えた後にメディアへ対応した。

 敵地で引退セレモニーが開催されたケースは、5月で25周年を迎えるJリーグの歴史でもまず見当たらない。それでも、2016シーズンまで10年半も在籍したFC東京のホームで、平山さんをして「自分の家だと思っていた」と言わしめた、味の素スタジアムが舞台となればうなずける。

「自分は引退してサッカーをやめたので、味スタを含めて、Jクラブのスタジアムのピッチに立つことはもうないと思っていたので。この話をいただいた時はちょっと恐縮したというか、恥ずかしさもありました。セレモニーでは泣くかな、と思いましたけど、まったくでしたね。緊張しすぎてしまって、ちゃんと話さなきゃと思ってばかりいたので」

 32歳でスパイクを脱いだ決断に誰もが驚かされた。それだけ寝耳に水の一報だった。昨年末には仙台との契約を更新し、クラブの公式ウェブサイトでこんな抱負を綴っていたからなおさらだ。

「悔しさを原動力に、ゴールを決めてチームの勝利に貢献したい」

 サッカーが大好きと公言してはばからなかった、平山さんに何が起こったのか。