被災者ケアでも起こる極端から極端への揺り戻し
光トポグラフィー装置を持つ神奈川県の病院には、番組放送後から問い合わせの電話が殺到したそうです。
その病院では、現在はまだ一般の治療には使われていません。まだ一部の人への使用の段階にすぎないので、要望には応えられないというコメントを出さざるを得なかったといいます。
ただ、番組で紹介された装置は決して特殊なものではなく、民間の医療機器メーカーが製作したものなので、日本でも購入しようと思えば手に入ります。自費診療で診察に使う病院も遅かれ早かれ登場してくることでしょう。
しかし、こうした極端な機械的診断と治療が普及したら、かつてのように「私たちは人間だ。ロボットのように扱わないでほしい」というもう一方の極端への揺り戻しが必ずやって来ると思います。
極端から極端への揺り戻しは、災害被災者のケアの現場でも起こっています。
「被災者のこころの中にあるショックや悲しみを吐き出させるのが良いケアだ」
日本では、およそ10年前にアメリカから入って来たこの「デブリーフィング」という考え方に基づいて災害ケアが進められてきました。1995年の阪神・淡路大震災のときに被災者支援に関する明確な指針がなかったので、何か作らなければならないと模索していたところにデブリーフィングという考え方が持ち込まれたのです。
ところが、ちょうど日本に入って来たころ、9・11事件を経験したアメリカでその手法が有害だという研究結果が出てしまいます。過酷な体験を吐き出させることは、かえって記憶を定着させてしまうというのがその理由です。デブリーフィングを提唱した学者でさえ、自分の考えは誤っていたと公表したのです。
それでも、入って来たばかりの手法が誤っているという情報は、しばらくの間日本では徹底されませんでした。そのため、今回の東日本大震災の被災者ケアは混乱を来たしてしまったのです。