──雑誌を有名にするために、どんな仕掛けをしたのですか。

「仕事で“快汗”体験をする」というコンセプトを打ち出していて、雑誌の認知度を上げる仕掛けにはこだわりましたね。

 米ロサンゼルスでテレビCMの撮影をしたのもその1つです。江副社長には「金がかかりすぎる」と反対されましたが、「1年分の放映分をまとめて1回で撮ってくるから」と説き伏せました。テレビCMのおかげで、雑誌の特集では伝えきれない世界観を広めることができました。

 米ロックバンドのボン・ジョヴィの来日公演をスポンサーとして企画したり、米国のラジオ音楽番組を日本へ持ち込んだり。83年に始まったタモリ倶楽部のスポンサーもやりました。深夜枠でしたし、セットにお金がかからないので、激安だったんです。

 こうした“空中戦”の効果もあり、産業構造がサービス業へ大転換する時流にものって、創刊3年目には黒字を達成し、5年目には業界トップになっていました。週1回の発刊のときは600ページの厚さになりましたし、ピーク時には、週2回の発刊で2万件の求人数を扱うほどに成長しました。

高い志を持つ若者を応援
「フリーター」と名付ける

──お話をうかがっていると、バブル時代を彷彿とさせますね。いよいよ本題なのですが、「フリーター」という言葉はどのようにして生まれたのですか。

 創刊3年目の85年ぐらいから、私が使い始めた言葉です。

 英語のフリー(自由な)という意味とフリーランスという意味、そして、職業を表す「er」をつけたものです。既成概念を打ち破る自由人という意味で「フローター」というのも候補に挙がっていましたが、響きが「浮浪者」みたいなのでやめました。

 カメラマンや役者など、この職業に就きたい!という高い志をもった若者を応援したいという気持ちを込めました。