「あらゆる先進社会が組織社会になった。経済、医療、教育、環境、研究、国防など主な社会的課題はすべて、マネジメントによって運営される永続的存在としての組織の手にゆだねられた。今や現代社会そのものの機能が、それらの組織の仕事ぶりにかかっている。しかも、今日の市民は被用者である。彼らは組織を通じて働き、組織に生計の資を依存し、組織に機会を求める。自己実現とともに、社会における位置づけと役割を組織に求める」(ドラッカー名著集(13)『マネジメント―課題、責任、実践』[上])
こうしてわれわれは、今日、組織社会に生きることになった。社会が組織化されたということではない。組織から成る社会になったという意味である。その組織の運営の仕方がマネジメントである。
だがドラッカーは、続けてこう言う。「われわれは、その新たな組織社会のための社会理論と政治理論を持たない。組織社会は、今日われわれの社会観、政治観、あるいは世界観を支配している理論では説明できない。組織社会という新しい現実のための理論が完成するには、さらに時間を要する」。
したがって、ドラッカーはこう付け加える。「われわれは、理論の完成を待っているわけにはいかない」。現実を生きるわれわれとしては、行動していかなければならない。そのためには、たとえまだ十分でなくても、組織と組織社会についてすでにわかったことを使っていかなければならない。
幸い、実践の体系としてのマネジメントは、仕事の現場で日々形成されている。大事なことは、日々発展するマネジメントを吸収して使っていくことである。
組織社会が始まって、わずか二百数十年である。人類の長い歴史から見ればごく最近のことにすぎない。だからこそ、すでに得られた知識は、人類共通の資産と見なすべきである。うまくいくとわかった仕事の進め方などは、大いに使わせていただく。
それが、マネジメントであり、文明である。
「われわれは、マネジメントに関わりのない時代、マネジメントを知らない時代、マネジメントが確たるものとして存在しない時代、すなわち、マネジメント以前の時代に戻ることはできない」(『マネジメント』[上])