「構造と秩序の原理としての分権化の目的は、トップマネジメントを強化し、トップとしての仕事を行えるようにすることである。すなわち、実行はそれぞれの使命と目的をもつ現場のマネジメントに任せ、中央のトップが意思決定と全体の方向づけに集中できるようにすることである」(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
ドラッカーは、続けてこう言った。この原理を国に適用するならば、実行の任に当たる者は、政府以外の組織でなければならない。国における分権化とは、実行にかかわる部分は、政府以外の組織に行わせることである。
つまり民営化とは、組織における分権化の原理を社会に適用することにほかならない。
こうしてドラッカーは、1969年の『断絶の時代』において、「手を広げすぎて疲れ果て、不能となった政府という中年疲れを元気にするには、社会のための仕事の実行の部分を民営化しなければならない」と提案したのだった。
この本は、大転換期の到来を告げるものとして、世界中で世紀のベストセラーとなった。
しかし、この民営化を説く部分だけは、およそあらゆる学者が無視した。政治家が無視し、官僚が無視した。なぜならば、当時はまだ、政府と社会は蜜月関係にあり、あらゆる問題が、政府に任せれば解決したも同然と信じられていたからだった。じつに、進歩とは「どこまで政府に任せられるか」を意味していたのだった。
だが、そのような状況の下にあって、この民営化の政策を、米国のドラッカー教授の提案と断ったうえで、マニフェストに入れた政党が世界に一つだけあった。
それが、英国の保守党だった。
サッチャーが政権を取り、経済を立て直したことから、政策の基本としての民営化が一挙に世界に広がった。日本では国鉄がJRとして再生した。
ドラッカーは、政府の力を弱めよと言ったのではなかった。強化せよと言ったのだった。人は、機能する社会を必要とし、社会は、機能する政府を必要とするからだった。
「多元社会においては、統治でき、実際に統治する政府が必要である。しかしそれは、自ら実行する政府ではない。管理する政府でもない。統治する政府である」(『断絶の時代』)