外国人に対し、取り扱いに気をつけるよう呼び掛ける商店も多い Photo by K.H

 販売目的で陳列する豆菓子を「試食」と間違えて手を出す外国人客には、店主も困惑気味だ。湯葉や麩(ふ)などデリケートな商材を扱う店などは、「取り扱いに配慮のない外国人客」に辟易している様子であり、その狼狽ぶりは英文で書かれた注意書きにもにじみ出ている。「外国人客がこれ以上増えたら…」という危機感を抱く商店は一つや二つではない。

 また、観光客にとって、ゴチャゴチャした雑然感が魅力でも、地元客は整然として落ち着いた環境での買い物を好む。実際、筆者も急ぎ足でここを通り抜けようとする地元客のイライラを目撃し、苦々しい“舌打ち”も耳にした。

 殺到する外国人客をかき分けて、地元の人が買い物をするのは現実的ではない。残念ながら、観光客と地元客のニーズは相いれないのである。また、日本人客の視点からも、「高齢者には不向き」など、外国人客が殺到する現状に否定的な声がある。

錦市場が直面した昭和の二大リスク

 “京の台所”としての錦市場の歴史は古い。さかのぼること江戸時代の1615年、幕府から魚問屋の称号が許され、魚市場として栄えた。その後、青果市場も設けられ、そこから本格的な食品市場がスタートした。以来400年の歳月が流れたが、常に時代の変遷がもたらすリスクと闘ってきた。

 昭和に入ると二大リスクが錦市場を直撃した。一つは1927年に開業した京都中央市場により、錦市場の地位が低下してしまったこと、もう一つが1970年代を前後しての百貨店や食品スーパーの台頭である。生麩を扱う商店の主人は「昭和は30~40年代が、錦市場が最も栄えた時代」だと振り返る。

 ちなみに、同志社大学・西村卓ゼミナールがまとめた書籍『京の庶民史』(かもがわ出版)は、1994年に行った錦市場の調査が掲載されているが、時代も平成に入ると、こだわりある高級商材を扱う錦市場の商品が日常の買い物に合わなくなりつつあり、地元客の高齢化が始まっていたことが分かる。