批判者には「利他的にふるまいたい」という良心が潜んでいる?
この世の中にいる人の全員が全員、社会活動に熱心に取り組む人になるということはあり得ません。また、その必要もないと思います。
多くの人は自分の生活で手一杯。そのなかで少しでもお金が欲しい、モテたいと思いながら生活していてもまったく構わないと思います。
にもかかわらず、懸命に社会活動に取り組む人をなぜ批判するのでしょうか。
おそらく、純粋な意思で社会活動をしている人が本当にいるとなれば、何もしていない自分が否定されたような気分になってしまうからなのかもしれません。
「おまえはなぜ活動しないんだ?」
「おまえは自分のことしか考えない欲深な人間だ」
そう言われているような気がしていたたまれず、「裏がある」と批判することで「アイツのほうがもっとひどいじゃないか」と自己を正当化したいのではないでしょうか。
もっとも、こういう人は自分も何かしろと迫られているように感じるからこそ過敏に反応するのだと思います。
何らかの社会活動をしなければならない。自分のことだけを考える利己主義になってはいけない。社会の一員として利他的なことをしなければならない。いろいろな事情があって今は自分の生活を成り立たせるので手一杯だけれども、できることなら利他的に振る舞いたい。批判を浴びせる人たちは、潜在的にはこうした良心的なこころを持っているのではないでしょうか。