自己啓発は自分だけ生き残るためのものか

 最近、宮崎学さんの著書『「自己啓発病」社会』を読みました。

 その中で、19世紀にイギリスで出版されたサミュエル・スマイルズの『自助論』について書かれています。この本には欧米人300人の成功譚が書かれています。宮崎さんは、この本が自己啓発に熱心な人たちに誤読されていると主張しています。

 現在日本で発行されている『自助論』は、要点だけを訳してあるので、それだけを読むと自分の努力(自助)だけで人は成功できると読まれがちです。しかし、1871年に刊行された全訳である『西国立志編』を読むと、自助は自分のためではなく相互扶助のためであると書いてあります。

 また、『自助論』が19世紀半ばのイギリスで出版された状況を考えると、当時は決して恵まれていたとは言えない工場労働者に対して、仕事を通じての自立は可能だと説いているのです。スマイルズは、恵まれた人がさらに成功することを訴えたかったのではないと宮崎さんは書いています。

 自己啓発本はこれまでも盛んに出版されてきました。

 1980年代は、豊かな時代のなかで自己実現するという「自分探し系」が多数を占めていました。

 ところが、2000年代に入るとその意味合いが一変しました。出口の見えない不況のなかで最終的に生き残る人は2割程度と脅され、自分だけでも生き残ろうとする「自己本位の自己啓発」が主流になっています。

 サバイバル競争が激しくなる社会で他人に頼るのはあてにできない。このような文脈から自助が求められているのでしょうか。こうなるとスマイルズが説いた自助の精神とはあまりにも違っています。

 競争で勝った人だけが生き残っていく社会、そこで必要なのは勝ち残るための自助の精神。これでは、そこでこぼれた人はどうなってしまうのでしょうか。