しかし、そもそも張本氏はレベルを語れるほどメジャーリーグのことを知っているのだろうか。張本氏が現役でプレーをしたのは1959年から1981年までの23年間。この最中の1964~65年の2シーズン、南海に在籍していた左腕投手・村上雅則氏が日本人初のメジャーリーガーとしてプレーしている。が、マイナーリーグへの野球留学で才能が評価されるというきっかけがあったから実現した話であり、当時は日本選手がメジャーでプレーすることなど考えられなかった(日本選手のメジャー挑戦の端緒となったのは、その30年後。1995年の野茂英雄氏のロサンゼルス・ドジャース入団から)。

 張本氏もメジャーなど遠い世界のことと思っていただろう。だが、体感する機会はあった。日米野球だ。張本氏はプロ入り4年目の1962年、東映の4番打者としてパ・リーグ優勝に貢献。MVPにもなった。そしてこの年の秋に来日したデトロイト・タイガースとの日米野球に出場している。そして、その後、66年・ロサンゼルス・ドジャース、68年・セントルイス・カージナルス、71年・ボルチモア・オリオールズ、74年・ニューヨーク・メッツ、78年・シンシナティ・レッズとの計6球団との日米野球に出場した。

 この日米野球での張本氏の通算成績は42試合で128打数32安打、打率2割5分、2本塁打、14打点。なお、当時の日米野球での日本チームは全日本だけでなく1球団単独や数球団の連合チームの場合もあったため、張本氏がすべての試合に出場したわけではないが、その勝敗は107戦で日本の28勝69敗10分。勝率2割6分2厘と大きく負け越しているのだ。

 また、その頃の日米野球は日本のファンからも真剣勝負と受け止められていなかった。もちろん日本選手はメジャーのチームに一泡吹かせてやろうと全力でプレーしただろうが、メジャー側は長いレギュラーシーズンを終えた後、極東の日本まで観光がてらに来ると言われていた。それでいてアメリカが圧倒する状態だったのだ。

 当時はそれほど実力差があった。その中で張本氏の打率2割5分、14打点はよくやった方と評価していいのではないだろうか。ちなみに同時期に日米野球に出場した長嶋茂雄氏の通算成績は69試合で打率2割9分5厘、6本塁打、27打点、王貞治氏は109試合で打率2割5分6厘、25本塁打、61打点。日本を代表する2人の大打者はメジャー相手でも十分対等にできる実力を示したのだ。