これは多数決により三つ以上の選択肢から一つを選ぶ場合に生じる矛盾で、投票の手続き次第で勝者が変わってしまうパラドックスの一つである。

 つまり、ハリル氏と西野氏だけを対象に投票したら、結果が西野氏になったかどうかは分からないのである。

 意思決定においては、その“プロセス次第”で、結果が変わるということは自覚しておきたい。

 とはいえ、組織には「気」がある。停滞、沈滞ムードや落ち込んでいる流れを変えるためにトップを変えるという選択肢はありうる。

 1997年のワールドカップフランス大会アジア予選中にも、加茂周監督を途中で更迭し、普通ならありえないと思われたものの、当時コーチだった岡田武史氏を監督に就任させて成功したという事例がある。こうした記憶を呼び覚ます意味もあり、「気」を変えるための監督交代を踏襲したのかもしれない。

「チームを育てる」のではなく、
「試合に勝つチーム」をつくるハリル氏に向けられた疑念

 田嶋会長はハリル氏の解任理由として、「さまざまなことを“総合的に評価”」という言葉も述べていた。

「監督の評価」を考える上で、グレアム・アリソンの意思決定モデルを下敷きに置いた3つの視点それぞれからハリル氏の解任が正しかったのかどうかを考えてみたい。

 (1)ワールドカップでいままで以上の成績を残せるかどうか。
 (2)日本代表の(ビジネスを含む)価値を上げられるかどうか。
 (3)意思決定に関与する人の政治的立場がどう満たされるか。

「監督の評価基準」の(1)は、純粋に代表チームが本番で勝てるかどうかという目的合理的な評価軸である。

 コアなサッカーファンからすれば、ハリル監督には今回のワールドカップ本大会出場を決めたオーストラリア戦の素晴らしいイメージがある。対戦相手を徹底的に研究して、完璧な戦術を組み立て、それを見事に遂行して成功させ、本戦出場をもぎとったのである。策略レベルやサッカー知能指数の高さを知らしめた。

 その後の親善試合が低調だったのは、手のうちを隠していたからにすぎない。実績もあり、自分の策略には強い自信とプライドを持っているであろうハリル氏の頭の中では、すでにワールドカップ3試合すべてのゲームプランが完璧にできていただろう。そのために、ワールドカップと関係ない試合では、必要なピースを最後まで探そうとして、選手を試していたと思われる。だから、負けても一向に構わなかった。

 というのは、日本代表チームとして選抜した選手をチームごと鍛えるのではなく、ワールドカップの3つの試合ごとに3チームを作る(くらいの)つもりだったと思われるからだ。