東北地域の首長時代に
確立された薄煕来氏のやり方

「とにかく賑やかなことが好き」。薄煕来氏と面会した人の多くは、そのような印象を語る。大衆運動家、宣伝家のイメージも強い。

 薄熙来氏は、1982年に中国社会科学院大学院マスコミ研究科を出て、88年から大連市で宣伝部長になった。その後92年に市長代理を、93年から市長になった。

 中国では1990年代から経済がすべての活動の中心となり、大連も大きく発展する時期を迎える。国営企業は別として、中国国内で知られる企業として、大連からは大連実德社が踊り出た。

 董事長の徐明氏は、1971年生まれで、94年から小さな建材会社を興し、事業を始める。2001年にはすでに3つの商業銀行、2つの保険会社、1つの基金を含む十数社の企業グループに成長して、事業の中身も建材、家電、サッカークラブ、金融に広がる。2011年に実徳グループは121億元を売り上げ、中国民営企業ベスト500社のうち第66位の地位を手に入れた。

 実徳の急成長は、当時の市長だった薄煕来氏と緊密な関係にあると言われている。現在、公式発表からは、大連市長や遼寧省知事として薄煕来氏が実徳を繰り返し視察し、「遼寧省企業の旗印」と絶賛していたことがわかっている。

 薄熙来氏が首長となった自治体は、例外なく経済成長が速くなる。大連市がそうだったし、後に重慶も、中国で7番目のGDP規模1兆元都市となっている。経済発展重視のなか、大連時代には実徳が飛躍し、全中国に名声を馳せた。

 一方、薄煕来氏は、暴力団と結託した企業には容赦なかったという。彼は行く先々で、必ずといっていいほど民間企業と暴力団の癒着を発見し、それを一掃していく。その発端は2002年の劉湧事件だった。劉湧は、瀋陽などで暴力を用いて他人の財産を奪い、東北で巨万の財産をなした。薄知事は在任期間中に劉を死刑にしている。薄煕来氏が失脚したいま、劉湧が消えてからのその莫大な財産の行方についても、再び論議を呼んでいる。