液体ガラスは、塩田政利の日本のインフラへの危機感から生まれた。
道路など多くのインフラには、鉄筋コンクリートが使われている。コンクリートは時がたつにつれ、中の水分が蒸発し、隙間ができる。その隙間に水が入り、中の鉄がさびる。
雪の多い地方では、融雪のために塩をまくが、塩も鉄のさびを加速させる。そのため、鉄筋コンクリートの耐用年数は50~60年だ。
耐用年数を過ぎた鉄筋コンクリートのインフラを全て造り直していく財政的余裕は日本にはない。人の生活の根幹が衣食住であるように、経済の根幹はインフラだ。インフラが危うくなれば経済がおかしくなる。
「何とか老朽化を止める技術はないものか」と塩田は思っていた。その答えを探すために、常務まで務めた日建工学を1980年に42歳で辞めた後、塩田は世界中を回った。
しかし、鉄筋コンクリートの腐食そのものを止める技術はなかった。世界のさまざまな建造物を見て気が付いたのは、風化に耐え数千年もの間生き残ってきた世界の遺跡のほとんどは石でできていることだった。しかし、インフラを支えることができるほど大きい石は日本にはない。
あるとき、新潟県の山を歩いていた塩田は、偶然、石化木(珪化木)を見つける。石化木は、古代に土砂などに埋もれた樹木が、地層からかかる圧力により細胞組織の中にケイ素と酸素と水素の化合物であるケイ酸を含有した地下水が入り込み、樹木が二酸化ケイ素に変化することで、化石化したものである。