W杯で日本代表に足りなかったのはPhoto:JFA/AFLO

 サッカーW杯決勝トーナメント。ご存じのように、日本代表は初戦でベルギーに逆転負け。W杯での闘いを終えた。後半の序盤で2点をリードしておきながら、ベルギーに追いつかれ、そしてアディショナルタイムで電光石火のカウンターを食らってゴールを奪われ、敗退が決定した。

 試合後のインタビューで西野監督は呆然とした表情で、感想を求められるもしばらくは言葉が出てこなかった。そして、ようやく絞り出すように語り出したのが「何が足りなかったんでしょうね」という言葉だ。それは、テレビで観戦していた大多数の観客もまた感じたことだと思う。特に3点目となるカウンターからゴールを奪うシーンには、世界の強豪チームと日本代表の根本的な何かの差を見せつけられた印象だった。いったい日本代表チームには何が足りなかったのか。そして、日本代表チームをもっともっと強くするためには何が必要なのか。

 僕はサッカーに関しては素人だ。しかしチームを強くするというテーマは、組織論であり、経営論でもある。その意味では、多少は語る資格もあるかと思う。今回はそのことについて、自分なりに考察したい。

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 結論から言えば、日本代表に足りなかったものは、「目線の高さ」だ。それが如実に表れたのは、予選リーグ第3戦の対ポーランド戦である。負けている状況でパス回しに専念し、時間稼ぎしたあの戦法に対しては、賛否両論の激しい議論が巻き起こったが、擁護派の意見を集約すれば「スポーツは、W杯は勝つことがすべて」「予選突破が日本代表の目的」というものだ。たしかに、勝つことがすべて、予選突破が最大の目標だとすれば、あの戦法は正しかった。しかしその「目線の低さ」が、日本代表チームに何かを欠落させ、対ベルギー戦での逆転負けをもたらしたのだと思う。

 例のドーハの悲劇の直後、キング・カズこと三浦知良選手は、「(日本代表には)歴史が足りなかった」と語った。「経験が足りなかった」のではない。足りなかったものは「歴史」だ。うろ覚えなので正確ではないかもしれないが、そのような趣旨だったと記憶している。しかし、いまの日本代表はあの頃とは違う。あれから25年、日本代表は多くの経験を積み、歴史を重ねてきた。6大会連続で本大会に出場できるチームに成長した。決勝トーナメント進出も8年ぶりだが、今回で3回目である。もはや「決勝トーナメント進出が目的」のチームではない。決勝トーナメントで勝てるチームになることが目的のはずだ。

 予選リーグ突破が目的のチームと、決勝トーナメントでの勝利が目的のチームでは、チームのあり方も違う、目線も違う。目線が違えば、目的までの戦い方も違ってくるはずだ。世界のトップレベルで戦い勝つ。そのために必要なことは、やはり目線の高さ。つまり、目先の利益を追わないということだ。