「安定成長レジーム」の終焉
そういう状況では、それまで族議員がしていたような、利益をうまく誘導しながら分配することができなくなります。むしろ、どういった分野で予算を削減できるかという議論をせざるをえなくなっていくわけです。
たとえば、民営化や民間セクターとの連携を進めて予算を削減する。そうなると、事業の主体が民間に移りますから、中央と地元を繋ぐことを利権の源泉としていた政治家の役割も薄まっていきます。以前のように公共事業にお金を使えなければ、族議員の影響力は低下せざるをえないのです。
各種調査からは、特定の支持政党を持たない浮動層の存在が、90年代に入って増加し、自民党支持者の数も減少したことがわかります。景気の後退が続き、族議員システムの衰退が進むと、おのずと自民党離れが進み、無党派層が増えていったということです。
以前のように組織票が取れない状況では、無党派層にアピールするために、有名にならないといけない。そのため90年ごろから、バラエティ番組や討論番組などに登場する政治家の姿が目立っていきました。
また、手っ取り早くテレビ・タレントのような有名人を候補に立てるという選挙戦術が露骨に行われるようになりました。テレビ・ポリティクスの時代が到来したなかで短期的には、「痛みをともなう」「既得権益をつぶす」という言い方で、それぞれの仕方で削減のあり方をアピールする動きにつながっていきました。
ポピュリズムの時代へ
ポピュリズムは、既成政党や既得権益に対して、自分たちこそがそれを打破できるのだと主張することによって支持を拡大させようとします。ポピュリズムは「大衆迎合主義」と言われるわけですが、別の言い方をすれば、反エリート(反既得権益主義)ということです。
たとえば「永田町、アメリカで言ったらワシントンの既得権益層に任せているから今のような結果になったのだ。今こそ、しがらみがない自分たち、歯に衣着せぬ自分たちこそが、大衆のために改革を断行できる」と宣伝する。そして人々の不満を募集の源泉とするために、既存政党や知識人、マスメディアを厳しい批判の対象としていくわけです。
ポピュリズムは、それ自体は否定される考えではなく、あくまで政治的な分析ツール。他方でポピュリズムは、短期的にはカウンターとして影響力を持っても、長期的に継続するとは限りません。短期的なうねりによってガス抜きの力を持ったとしても、政権維持能力があるとは限らない。
これが完全比例代表制を採用している国であれば、各政党間で交渉を重ねて、連立政権を作るのが定石です。完全比例代表制だから1票の格差もありません。その結果、インターネットの自由や権利だけを主張するような政党も議席を獲得する。しかし、そういう政党も連立を組まなければ影響力を行使できないので、他の政党と政策をすり合わせていくわけです。もちろん、それはそれで不安定な仕組みでもあります。
日本は、小選挙区制+比例代表制を導入しているため、多くの党の勢力が拮抗しながら連立政権を組むような状態にはなりきれず、だらだらとした一強多弱というものを生みやすい。少なくとも現状はそうなっています。この先、もしかすると二大政党制的な方向に収斂していく可能性もありますが、地域政党や特定のイデオロギーを掲げる政党やポピュリスト政党が生まれる余地も消えないでしょう。
今振り返ってみると、維新の会は言うに及ばず、民主党の誕生もポピュリズム的な側面がありました。要は、既存の政党にお灸を据えるために、今までの既得権益とは違うことを自分たちがなしとげるということを謳っていた。そのためのショーが事業仕分けでした。削減によって財源を捻出すると主張していた民主党は、結果としては不況を背景として、緊縮ムードを助長することになってしまう。
維新の会の場合、責任野党として政策を提言しつつ、与党と具体的にネゴシエーションしていくことを売りにしている一方、過激な発言で注目を集めるという手法が、しばしば舌禍事件をひきおこしていました。ソーシャルメディア上で誰かを叩き、特定層にアピールすることで、「ウケを狙う」。新たな時代のポピュリズムは、そうした新しい仕草を一部政治家たちに埋め込んでいます。
現状の日本では、一強多弱と刹那的なポピュリズムが見られる一方で、55年体制に代わるような安定した政治的枠組みをまだ作ることができていない。非常に不安定な状況が続いているわけです。