信じた道をただ突き進む
「報道」のお作法

 それは一言で言ってしまえば、「偏る」ということが、実は「報道の作法」だからだ。

「は?なに言ってんの?」と首をかしげる方のために順を追って説明しよう。そもそも、皆さんは不思議ではないだろうか。なぜ我々はマスコミのことを「報道」と呼ぶようになったのか。

 他の産業は「自動車道」とか「小売道」なんてことは言わない。それは、社会の公器だからというが、同じような機能を担う分野でも、「福祉道」とか「政治道」なんて言い方はほとんど耳にしない。。

 NHK放送文化研究所のホームページには、「道」には専門分野の意味があるので、「知らせる専門分野」という意味と、「道」には「言う」と言う意味があると説明している。

 ただ、マスコミというものの本質から考えていくと、華道や茶道のような「道」がピタッとハマる。

 書道、柔道、剣道、空手道、居合道、合気道、そして、極道にマンガ道…これらの「道」に共通しているのは、「自分の信じた道を突き進む」ということだ。

 茶の道とは何か、剣の道とは何か、周囲からああだこうだと様々な雑音が入ってくるが、それに惑わされることなく信念に基づいて精進をする。この「自分の信じた道を突き進む」というのは、「報道」にも当てはまる。

 例えば、「従軍慰安婦」に関する「報道」の“お点前”をみれば、筆者の言いたいことが分かっていただけるはずだ。

「従軍慰安婦」については当初から様々な学者やジャーナリストが、証言者の言っていることは怪しいと忠告をしていた。が、「朝日新聞」はそういう“雑音”に耳を貸すことなく、ただひたすらに自分の信じた道を突き進んだ。

 人の話に耳を傾けないという、ジャーナリストらしからぬ「ストイックな求道者」となってしまったのは、彼らが「自分の信じた道をただひたすらに世の中にふれ回わる」という「報道」の探求者だからだ。

 森友・加計学園問題がネットで「偏向」と叩かれても、「報道」の世界では「結構なお点前で」と大絶賛されているのも、これが理由だ。