最近でこそ高らかにそう宣言する人は減ってきたが、一昔前までは「浮気は男の甲斐性だ」などという格言(?)がまかり通っていた。しかしそのように言われていた時代から、浮気をしない人も一定数いたのだろう。浮気をする側が時に“雄弁”に語るのに比べ、浮気をしない側の気持ちはあまり語られない。今こそ語ってもらいたい。絶対に浮気をしないのは、なぜなのか。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)
業に抗(あらが)う人の存在
その不惑の胸中とは
すでにパートナーがいるにもかかわらず、別の異性と浮気をすることは倫理上大変な悪とされている。一般的に交際とは「あなたとしかしません」という暗黙の契約で、裏切られた方の精神的なダメージは甚大なものとなることが想定される。浮気が不倫になるとさらなる「悪」として扱われ、露見すればした方も大きな社会的制裁を科せられる仕組みとなっている。
こうした背景があるにもかかわらず浮気・不倫をする人はあとを絶たず、浮気や不倫が秘している魔力がどれほど抗(あらが)いがたいかを物語っているようでもある。
浮気・不倫を人の業として諦念とともに受け入れる向きもあり、「不倫は文化」なるフレーズが巷間に広まり、「するなら墓場まで持っていくべき」といった哲学が生まれた。
浮気・不倫経験がある人の割合を調査したデータはいくつも見つけられるが、それらを見ると「みんなこんなにやっているんだ」「思ったより少ない」など、さまざまな感想を抱かれることと思う。この時「経験がある人」のパーセンテージに目が行きがちだが、一方で、浮気・不倫を決してしない人たちが確実にいるのである。
人の業である浮気・不倫をせず、貞操を貫く人たちの考え方や哲学とは一体どのようなものなのだろうか。幾人かの声を紹介したい。