SNS上で、経営やマーケティングに関する独自のコメントでフォロワーを集め、インフルエンサーの1人となった、“えとみほ”さんという女性がいる。

近年の経歴を簡単に紹介すると、40代でウェブメディアの編集長を経験したのち、アプリ・Webサービスの「Snapmart」を開発して経営者に。その後代表を退いてすぐに、全くの異分野であるJリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長に就任して周囲を驚かせた。

なぜ彼女は、このように自由な働き方ができるのか?
どのような基準で人生の進路を決めているのか?
以前よりSNS上で“えとみほ”さんと交流し、自身もフリーランスとしてユニークな活躍をする“きたみりゅうじ”氏に、その秘密を探ってもらった。

40代のフリーランスから見たえとみほさん

 40歳を過ぎるとフリーランスは仕事が減ってくる。最近そうした言説を見かけることが増えた。僕は今年で46歳で、そう言われてみれば、確かにお声がけいただく数は昔に比べて減ったのかもしれない。ただ、幸いにも収入自体は右肩上がりで来ているので、「減った」とリアルに実感はしていない。

 一方で、確実に実感しているものはある。

 僕はプログラマとして20代を過ごし、30歳を機に本を書く仕事へと転身した。売れたり売れなかったりしながらそこそこいい感じのポジションに落ちついて40代に突入。今思えば、20代はがむしゃらに経験を積む時期だった気がする。その経験を元に、何かを結実させながら自分の価値を問うた期間が30代。じゃあ40代はというと、すべてを試し終わってしまって、どうも空虚さが否めない。どこか惰性を感じつつ、かといって新しく事を起こすだけのエネルギーも、困ったことに湧いてこない。率直に言えばめんどくさい。

 この、妙に一区切りついてしまって動き出せない感じ、めんどくささを、40歳過ぎから強く実感している。しかもこれが歳を重ねるごとに色濃くなっていくので、つまりこれがおっさん化ということかと、自分では受け止めている。

 ところが20代からフリーランスとしてバリバリ働き、40歳を過ぎてから新規事業を立ち上げ成功させたと思ったら、あっさりと畑違いの業種に鞍替えして生き生きと毎日を過ごしている人がいる。

 個人が撮影した写真素材のマーケット化を実現してみせた『Snapmart』サービスの創業者、江藤美帆(以降えとみほ)さんである。

 今ではスタートアップの世界や、SNS上におけるインフルエンサーの1人として、確固たる地位を築いている彼女。しかし僕がそのお名前を知ったのは、そうした華々しい経歴よりもずっと前で、今現在の僕の足場である「ITライター」という枠の中に、まだえとみほさんの影が残っていた時のことだった。それで、いつかお会いする機会もあるかなーと思っていたら、あれよあれよとクラスチェンジして、今や立派な起業家の顔に。

 似たような枠に居たことがありながらも、傍目には「40歳の空虚さ、惰性」とは無縁で働き続けているように見える彼女。どうしてそんな働き方ができるのだろうか、とんでもなく賢いからだろうか。いつかそれを聞いてみたいと、興味を抱くようになっていた。

きたみりゅうじもとはコンピュータプログラマ。本職のかたわらホームページで4コマまんがの連載などを行う。この連載がきっかけでイラストレーターではなくライターとしても仕事を請負うことになる。『キタミ式イラストIT塾「ITパスポート」』『キタミ式イラストIT塾「基本情報技術者」』(技術評論社)、『フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。』(日本実業出版社)など著書多数。 twitter:@kitajirushi

ITライターの先輩としての顔

「はじめまして、お名前はずっと近しいところで認識していたので、一方的に知り合い気分でいたというか、やっと会えたという感が強いですけど」

「それはこちらも同じです(笑)」

「僕がえとみほさんを知ったのは香月さんが『すごい人がいるんですよ』と自慢しまくるからなんですけど、なんでえとみほさんは僕のこと知ってるんですか?」

「やっぱり香月さん、そこですよね。私もそこで本を出してましたから、近いところにいたきたみさんのことは自然と目に入ってました」

 香月さんというのは、某IT系出版社の編集だった人で、僕が本を書く仕事に移った時の初期のキャリア形成に、とんでもなく尽力いただいた人でもある。この人が居なかったらまともに売れる本は一冊も出せないまま、あっさりサラリーマンに出戻っていただろうというのは想像に難くない。

 この香月さんが独立して会社を興したその後で一緒に飲んだ時、「すごい人がいるんですよ」と僕に自慢しまくった人物がえとみほさんだった。出す本はすべて増刷がかかり、そうした売れっ子でありながら早々にライター業を畳んだと思ったら、今度は海外から版権を輸入してグッズ展開で大もうけ。本当にすごいと。

 そんなわけで、えとみほさんという人は、自分の中では「ITライター業の大先輩」として、強く印象づけられることになった。

「えとみほさんはIT書バブルも経験されてますよね。自分は残念ながらバブルのはじけた後しか知らないんですけど、当時は本を刷るというのがお札を刷るような感覚だったと聞いています」

「そうですね、当時はソフトウェアのバージョンアップも盛んで、その度に新しい版を出すんですけど、やることといったら画面キャプチャを差し替えるのがほとんどだったりして、それでもポンと5万部とか刷ってたりして」

「1冊書くと500万から1千万が入ってくるわけですか。部数の桁が今と全然違いますね、怖いなー昔の話(笑)」

「違いますねー、ほんと怖い。これが私の20代のスタートだったんですよ。簡単にお金が入りすぎたというか、修行も下積みもなく最初においしい思いをしすぎたせいで、あんまり自分の人生に良い影響を与えてないですね」

「え!?そうなんですか!?」

プチバブルの功罪

「元々はアメリカに留学されてらしたんですよね?」

「そう、アメリカに留学して、Microsoft本社でインターンをしてたんですけど、ちょっとご縁があって海外本の翻訳を手伝うようになったんです」

「それでね、実は当時学生結婚したんですよ。その流れで日本に帰国して、専業主婦になったものの、毎日どうも暇だなと、そしたら翻訳をお手伝いしていた時のつながりでIT本を書かせてもらえる機会ができて」

 これを「主婦のバイト気分ですよね」と言って笑うえとみほさん。その「バイト気分」で書いた本がどうなったかは先に述べた通り。書くこと自体も楽しくて、書けば書くほどお金が入ってくる。自分の名前が書かれた本が書店に並ぶのも感動で、「これが天職」とすら思ってとにかく書きまくる。

「そうするとね、旦那さんが外で働いて帰ってくるじゃないですか、でもこっちもわんさと稼いじゃってるわけですよ、金銭感覚も狂っちゃってて…お金持って調子に乗っちゃってた感はありますね」

 この歪みが、結婚生活に危機をもたらすことになる。結局若くして離婚することになるのだけれど、その原因の大きな部分が、このIT書プチバブルに踊ってしまったことだろうと彼女は言う。

「はー…幸せなことばっかりじゃないんですね」

「ないですねー」

えとみほ(江藤美帆)米国留学中、マイクロソフト社でソフトウェアの日本語ローカライズに携わり、その後1年間本社に勤務。帰国後フリーのテクニカルライターとして活動後、2004年に英国企業のコンテンツライセンス管理会社を設立。日本における「禁煙セラピー」の普及活動に従事し、2010年に事業譲渡。以後、VR系ITベンチャー、外資系IT企業などを経て株式会社オプトに入社。ソーシャルメディアの可能性を探求するメディア「kakeru」(初代編集長)などを立ち上げる。2015年10月より関連会社の株式会社オプトインキュベートに出向し、「スマホの写真が売れちゃうアプリ Snapmart(スナップマート)」を企画開発。2016年8月、ピクスタ株式会社への事業譲渡に伴い新会社スナップマート株式会社へ移籍。2018年3月、代表を退任し非常勤顧問に就任。2018年5月より、Jリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長。 twitter:@etomiho

焦りだした26歳の頃、そして迎える休止期間

「その後でバブルがはじけて…はじけてというか、そのもうちょっと前に途中で気付いちゃったんですよね」

 世はIT書バブル真っ只中。どこにも陰りはなく皆が踊り狂っていたその時に、えとみほさんは「これずっとやっていても多分私は何も成長しないぞ?」「しかもこの景気がこの先もずっと続くなんて有り得ないぞ?」と気付いたのだという。それが26歳の時。

「そこから『早く何かやらなきゃいけない』みたいに焦るんですけど、何が思いつくわけでもなくて、そうこうするうちに倒れちゃった。27歳の時かな」

 ライター仕事は楽しくて、そのおかげでひたすら休みなく働くことができた。でも、いつの間にか過労状態になっていた。体からの悲鳴に気がついた時には、もう動けなくなっていて、結果、そのままうつ病のようになってしまう。そうしてえとみほさんは、「これは周りに迷惑をかける」と、すべての仕事をストップせざるを得なくなってしまう。

「さっき離婚の話してましたよね?それはタイミングとしては?」

「あ、倒れる少し前ですね」

「じゃあ色んなことが重なってしまったわけですか」

 フリーランスという立場で働く多くの人が実感することのひとつに、「孤独」があると思う。特に本を書く仕事ともなれば、家にこもって延々と1人。誰と会話をすることもなく、数年のうちで新しく知り合った人って何人いるだろうと片手で数えられちゃうのも珍しくはない。僕なんかも多分一番多く会話をしているのは仕事場のルンバじゃないかなあと思う程で、最近は「OK、Google」と話しかければ答えてくれるスマホがその座を脅かし始めていて、やっと会話が双方向になってきたとほっとしてるくらいに人と話す機会がない。

「あの生活って、病みますよね」

「確かに。僕一時期冗談じゃなく口が動かなくなりましたもん、使わないから」

 27歳で倒れて、仕事を止めて、ITライター業で稼いだお金は幸いまだたくさん残っていたので、そこから2年あまりの間、彼女は何もせずにぽけーっと呆けて過ごすことになる。

 えとみほさんが次に目覚めるのは30歳を目前にした頃。彼女の20代は、ITライター業としてはじまり、ITライター業とともに終わったと言える。