テレビ番組で会った片山氏に
女性として共感するけれども

 私は2013年、片山さつき氏とテレビのトーク番組でご一緒し、生活保護に関して議論した経験がある。握手した片山氏の手は、驚くほど華奢で小さかった。私は片山氏の4歳下にあたり、「均等法前後に女性総合職として職業生活をスタートさせた」という経験を共有している。「この身体で、片山さんは男社会を生きてきたのか」と思うと、握手しながら胸が詰まったのを思い出す。

 片山氏をはじめとする自民党の女性政治家に対しては、「オジサンの代弁者」「名誉男性」といった批判も多い。しかし、その世代の女性の多くは、政界に限らず、職業人として生き延びるためにそうするしかなかったはずだ。同じ人間として、同じ女性として、重なる経験を持つ者として、それは理解できる。共感も持てる。

 とはいえ、片山氏の国会での活動を見る限り、同氏の関心の中心は、憲法改正を含む国家統治・外交・防衛・経済産業にあるようだ。対照的に、社会保障・社会福祉への関心は、かなり低いように見受けられる。

 片山さつき氏に、私は「それほど深いご関心がないのでしたら、生活保護や貧困を語らないでいただけませんか。“ネタ”なら他にもあるでしょう」と申し上げたい。

 世間が話題にし始める前も忘れてしまった後も、生活保護制度は運用されており、生活保護のもとで暮らす人々がいる。衣食足りた人々が、充分な空調のある部屋で語る「生活保護『適正』化」、すなわち「適正化」の名目のもとに行われる締め付けや引き下げや就労強化は、たとえ必要であっても、夏の冷房や冬の暖房が使用できない人々、バランスを欠いた食生活しかできない人々、生命や身体の健康を奪われる人々、あるいは精神を病んで自ら命を断つ人々を、事実として生んでいる。

 むろん、生活保護や貧困の当事者たちには、一般よりは若干高い頻度で、困った言動や問題ある生活態度が見られる。片山氏が繰り返し語ってきている通りだ。それは、「自己責任」を含め、生育環境や教育を含めた巡り合わせの不運の結果である。本人を非難すべき理由はない。しかし、その人々と人間関係を構築したり交流したりすることが困難なのは事実だ。取材と記事化をしているだけの私にも、疲弊や消耗、時には生活を危険にさらされることがある。