超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

渾身の調査レポートをゴミ扱いされた元新聞記者は、どこがどう「間抜け」なのか?

第5章 ワルの錬金術(1)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は、謎の投資家・城隆一郎の依頼でベンチャー企業「ミラクルモーターズ」の取材を開始した。同社トップ黒崎宏へのインタビューに成功した有馬はその壮大な経営ビジョンに感銘を受ける。黒崎はそんな有馬に年収2000万で広報担当として入社しないかと持ちかけた──。

 ***

「労作のようだな」

 レポート用紙5枚の報告書を読みながら、城隆一郎は言う。

「元社会部記者の意地、といったところか」

 恐縮です、と神妙に答えつつ、溜飲を下げる。どうだ、恐れ入ったか。実に気分がいい。

 城は視線を上げ、有馬を見る。そして報告書を指ではじく。広いリビングに乾いた音がした。

「メールではなく、わざわざ持参したのは理由があるんだろ」

 さすがは凄腕投資家。有馬はふてぶてしい笑みを浮かべて返す。

「大事な報告書なのでフェイストゥフェイスが礼儀かと」

 開き直って言う。

「前金100万も頂戴していますし」

 城は薄く笑い、「この場で成功報酬100万も受け取れるしな」

 そのとおり。計200万をゲットし、あんたとはおさらばだ。おれの未来は開けた。世界と勝負する『ミラクルモーターズ』の広報担当。年収2000万円。交際費、青天井。夢なら醒めるな。

 ばさっ、と音がした。城が報告書をテーブルに放り投げ、両手を組み合わせる。鋭い目が射抜くように有馬を見つめる。

「おまえの報告書によれば『ミラクルモーターズ』の将来は限りなく明るいようだな」

「そう判断しました」

 不穏なものを感じながら答える。

「おれが投資家なら買いです」

 もちろん転職もOKだ。

「間違いないのか」

 正面から問われ、返事に窮する。目の前の男は数百億のカネを動かす、伝説の投資家だ。ひとつの判断ミスが莫大な損失につながる、真の修羅場、鉄火場で生きる男だ。新聞社のくたびれた皮肉屋のデスクに問われているのとはわけが違う。掌の冷や汗をそっとズボンでぬぐい、調査報告書にあるように、と前振りして慎重に、言葉を選んで答える。

「大手電機メーカー『シーザー』出身の天才技術者、江田慎之介を取り込んでおりますし、セラミック技術を応用した特殊な物質で酸化物系全固体電池の弱点もクリアしています」

 ひと呼吸おき、とっておきのネタを投げ込む。

「ヨーロッパの自動車メーカーが接触し、資本提携の交渉が着々と進行中との情報もあります」

「極秘情報ってわけか」

「今朝、黒崎宏本人に直接当てましたが、否定しません。感触として資本提携の交渉はアリです」

 城はうなずく。

「よく黒崎に会えたな」

「それなりの段取りは踏んでますから」

 段取りの内容を明かす。

「真夜中、取材依頼書を送るや、即、メールが返ってきましてね。彼の指定で翌早朝、つまり今朝、渋谷の本社で会ってきました」

 ほう、と城は目を細め、あごをしごく。まいった、と言わんばかりだ。気分がいい。取材結果をもとに、最後の最後、本丸に当てる。事件取材のセオリーだ。城が問う。

「『ミラクルモーターズ』は本物、と太鼓判を押すんだな」

「報告書に自信はあります」

 そうか、と微笑む。納得の表情だ。終わった。これで成功報酬100万もゲット。あとは黒崎に電話を入れ、広報担当の──。城がすっと指を突きつけてくる。表情が怖くなる。

「なら、おれもおまえに太鼓判を押してやろう」

 静かに言う。剣呑なものが漂う。有馬は息を殺し、次の言葉を待つ。城の唇がゆがむ。

「間抜け」

 頭が空白になる。間抜け? だれが? 城は野太いバリトンを響かせる。

「新聞記者はこの程度の取材で務まるのか。実に楽な商売だな。新聞業界が衰退するのも当然だ」

 なにぃ。思わず腰を浮かす。待ってました、とばかりに城は顔を寄せてくる。

「しょせん、生き死にとは関係ない安全地帯の傍観者。口先だけ達者な頭でっかちの第三者」

 灼けた礫のような言葉をぶつけてくる。

「有馬、おれはひとつの情報を見逃せば即、地獄に叩き落とされる金融の世界で生きている。巧妙なフェイクニュースに踊らされても同じだ。訂正文、詫び文を出せばそれでよしとする新聞記者とは生きる覚悟が違う。おまえみたいな──」

 目をすがめ、凄むように言う。

「甘ちゃんは一日でお払い箱だ」

 報告書を取り上げる。

「負け犬の元ブンヤ風情になあ」

 高く掲げ、ビリッとふたつに裂く。

「投資先の可否を判断してもらおうとは思わんっ」

 裂いた報告書を両手で丸め、ゴミ箱に叩き込む。鈍い音が響いた。

「てめえっ」頭にぐんと血が上る。

「おれが心血注いで書いたレポートだぞ。言うにこと欠いて甘ちゃんとはなんだ、おれは取材のプロだ、愚弄するのもいい加減にしろっ、取材内容には絶対の自信がある」

「自信の根拠を言ってみろっ」

 城は容赦なく攻め込んでくる。

「黒崎に丸めこまれただけだろう。おまえのレポートには真実がただのひとつもない」

 城が立ち上がる。怖い目で見下ろしてくる。

「おまえは黒崎の正体がまったくわかっていない」

 黒崎の正体が? どういうことだ? 有馬は生唾を呑み込み、惚けたように見上げる。城が口角を吊り上げる。それは悪魔の微笑みに見えた。

「有馬、よく聞け」

 深みのある重厚な声音がリビングに響き渡る。両手を腰に当て、仁王立ちになった城。

「おれが知りたいのは詐欺師、黒崎宏の背後だ」

(続く)