超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

革命家を自称する国内最強ベンチャーのトップは、実は首相のお友だち

第4章 EVと革命児(2)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は、謎の投資家・城隆一郎の依頼で話題のEVベンチャー「ミラクルモーターズ」を調査することになる。プロ経営者・黒崎浩が率いる同社は、調べれば調べるほど可能性に満ちた企業だった。黒崎の経営理念に感銘を受けた有馬は取材依頼書を用意するが──。

 ***

 有馬は趣意書の思想を文面に溶かしこみ、骨太の通奏低音として鳴り響かせ、取材依頼書を書き上げた。取材理由は「単行本執筆のため」。

 時計を見る。午前1時過ぎ。取材依頼書をメールに添付して黒崎宛に送る。もとより返事は期待していない。

 1日に何百と届くであろう、未知の人物からのさまざまなメール。秘書がチェックし、どこの馬の骨ともわからないフリーからの取材依頼書など、いの一番にはじかれて終わりだ。しかし、取材ははじかれてからが勝負だ。取材依頼書を送った、という事実を楯に電話を入れ、改めて取材を依頼する。取材拒否ならその理由を問う。黒崎本人が読んで拒否しているのか? どの箇所が拒否に相当するのか? それとも秘書の判断か? 秘書はどこまで権限があるのか? 問答無用の取材拒否は自由闊達なベンチャーの理念に反するのでは?

 徹底して理詰めで攻める。めげず、諦めず、動き続ければ道は開ける。取材イコール執念。有馬はそう信じている。

 さすがに疲れた。すべては明日からだ。さて、シャワーを浴びて缶ビールで晩酌し、寝るか、と椅子から腰を上げたとき、メールが届いた。発信者 H・KUROSAKI。黒崎宏。カッと全身が熱くなる。まさか。もう? ウソだろ。いや、間違いない。震える指でクリック。黒崎から送られたメールの文字を追う。どっと冷や汗が出た。

〈取材依頼書拝見。了解しました。なんでも訊いてください。取材日時はできるだけ早いほうがいいですね。個人電話に連絡乞う。直接、話しましょう。黒崎〉

 末尾に連絡先が記してある。いいのか? こんな時間に。有馬はスマホに番号を打ち込み、耳に当て、息を殺して待つ。ワンコールの途中で出た。

「やあ、どうも」

 快活な声がビンビン響く。

「黒崎です。なかなか面白かったですよ」

 こんな時間に申し訳ありません、と恐縮すると、「まったく大丈夫、午前2時までは宵の口だから」と言う。「午前3時になるとちょっときついけど」

 はあ?

「有馬さん、あなたも元新聞記者ならわかるでしょう。同じブラックの超激務だもの」

 いや、その──返事に窮していると一気に本題に入ってきた。

「取材、明日ではどうかな。善は急げで」

 あまりの急展開に困惑していると、さらに言う。

「ああ、もう今日か。午前7時、本社に来てくれる? グッモーニング、セブンオクロック、だ。夜明けのコーヒーを一緒に、どう?」

 朝の7時? なに考えてんだ。

「了解ね。じゃあ、始業前に済ましちゃいましょう。よろしく」

 返事も待たず切れる。有馬はスマホを見つめ、茫然と立ち尽くす。城隆一郎とおっつかっつの強引さだ。凡人の己が恨めしくなる。結局、振り回される運命なのだろう。世の成功者、わがままな金持ちたちに。

 ***

 翌朝午前6時52分。渋谷道玄坂の本社を訪ねる。オフィスビルの通用口玄関でいかめしいガードマンふたりからチェックを受け、中へ。

 早朝の閑散としたロビーを歩き、エレベーターで7階の『ミラクルモーターズ』本社フロアへ。

 受付前に大柄な男が立っていた。肩幅がある筋肉質の身体にダークスーツと白いシャツ、ノーネクタイ。清潔な短髪と褐色の肌、自信に満ちた端整な顔。

 有馬を認めるなり、グッモーニン、黒崎です、と両腕を大きく広げて出迎え、右手を差し出してくる。真っ白な歯がまぶしい。あわてて握手。がっちりとした肉厚の手だった。学生時代、ラグビー部で鳴らしたという黒崎宏の第一印象は爽やかなスポーツマンだ。とても50過ぎには見えない。初対面の印象は40代半ばの男盛りだ。

「有馬さん、いらっしゃい」

 輝くばかりの笑顔に圧倒されながらも、有馬は挨拶の言葉を述べ、一礼する。黒崎は握手を解き、なに飲む? と親指で自動販売機を示す。

「きみとおれの夜明けの缶コーヒー」ああ、コーヒーじゃなくて缶コーヒー、ね。

「カフェオレを」

 黒崎はカフェオレとブレンドを買い、有馬の肩を抱くようにしてオフィスに招き入れる。高級コロンの香りがした。

「ずいぶんと取材に回ったみたいだね」

 ええ、まあ、頭をかく。

「元新聞記者です。機動力だけが取り柄ですから」

「読日の社会部だっけ」

「泥臭くてすみません」

 いやいや、と黒崎は大きく首を振る。

「社会部こそは新聞の華だよ。世を震撼させる凶悪事件に、政治家や官僚、財界人のスキャンダル、大企業の犯罪、身も凍る大事故に大災害、明日はわが身の貧困問題──。庶民の残酷な好奇心を満足させる、面白いテーマばかりじゃないの」

 なんと応えていいのかわからない。

 広々としたフロアにずらりと並ぶデスクとパソコン。始業前の、がらんとしたオフィスを歩く。黒崎が耳元でささやく。

「素晴らしい取材依頼書だね。EVのこともよく勉強しているし」

 いや、それほどでも。

「おれが関係者限定で配った趣意書もしっかり手に入れ、読み込み、文章に反映させているもの。大した取材力だ」

 有馬は平静を装いながらも、内心、プロ経営者の読解力に舌を巻いた。取材依頼書を一読しただけでその背後にある資料を正確に読み取っている。

「情熱と感動がストレートに過剰にほとばしって、とても元新聞記者が書いたものとは思えないけどね」

 喜んでいいのか? 有馬のとまどいをよそに、黒崎は屈託のない言葉を重ねる。

「ああいう取材依頼書は大歓迎だね。下手でも不器用でもいい、構成と表現力がイマイチでもかまわない。会いたい、取材したい、という愚直な強い意志さえ伝われば、ね」

 奥歯を噛む。慇懃で快活、隠し味はシニカル。国内屈指の有力ベンチャーのトップだ。一筋縄ではいかない。

 黒崎は取材者の反応を確かめるように凝視した後、どうぞ、と社長室のドアを開ける。奥に執務用のデスクとパソコン、地球儀。手前にソファセット。広さは15畳程度。質素な部屋だ。世界のガソリンカーを駆逐して地球温暖化阻止。気宇壮大な計画をぶち上げる男の部屋とは思えない。

「革命家の指揮所は質素なもんさ」

 訪問者の胸中を察知したかのように語る。

「おれはいま、生きるか死ぬかの熾烈な戦いの真っ只中にいる。豪華な執務室は大勝利を宣言した後だね。毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言し、紫禁城を手中に収めたように」

 たとえがちょっとズレてる気もするが、相手は歴戦のプロ経営者だ。発想、思考が常人とは違うのだろう。ふと、デスクの背後に目が留まる。壁に額入りの写真があった。広い階段に立つ、スーツ姿の6人の男。前後にそれぞれ3人ずつ。全員笑顔だ。有馬は凝視する。

 これは、と思わず声が出る。前列中央に立つ男は総理大臣じゃないか。後列右側に黒崎宏。

「ああ、それね」

 黒崎が苦笑しつつ説明する。

「半年あまり前に首相公邸で撮ったんだ。みんなで晩飯を食い、酒を飲んだ後、ほろ酔い加減で組閣ごっこに興じてね」

 総理の左右は民放テレビ局会長と芸能プロデューサー。後列にIT企業オーナー、出版社社長。全員、総理のオトモダチ、と言われる面々だ。ならば黒崎もそのひとりなのだろう。

「総理もEVにはたいへんな興味を持っているからね」

 経済立国のトップだ。当然だと思う。黒崎は雄弁に語る。

「電機、機械、電子機器が軒並みダウンしたいま、自動車産業はわが国の経済の屋台骨、最後の砦だ。その行く末は総理でなくとも気になるよね。日本国のために頑張ってくれ、とおれの両手をがっちり握って励ましてくれたよ。ありがたいよな」

「すごいですね」

 そうとしか言いようがない。でもさ、と黒崎の声が小さくなる。

「われながらバカやってるよね」

 自嘲の笑みを浮かべて言う。

「その写真、いい気になっちゃいかん、という自戒を込めて飾ってあるんだ。総理と飲み仲間でも、ビジネスはいっさい関係ないからね」

 勘違いとは程遠い、本物のプロ経営者で現職総理のオトモダチ。それも公邸で夕食をともにするほど親密な。改めて、黒崎という傑物の尋常でない人脈と実力を思い知らされてしまう。

(続く)