超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

時価総額3000億のベンチャーを率いる<br />“日本のイーロン・マスク”が発した<br />胸熱のメッセージとは?

第4章 EVと革命児(1)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は謎の投資家・城隆一郎の直接取材に成功する。しかし面会した城の傲慢な態度に翻弄されるうち、逆にある企業の調査を依頼されることになる。その企業の名前は「ミラクルモーターズ」。話題のEVベンチャーだった──。

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 南青山のマンションを出るや、怒りと屈辱に背中をひっぱたかれ、取材に回った。傲慢な雇い主にプロの実力を見せつけてやる、と固く誓い、あらゆる伝手を頼り、『ミラクルモーターズ』の情報を集めた。黒崎宏、54歳。彼が率いる『ミラクルモーターズ』は知れば知るほど、可能性に満ちたベンチャーだった。

 資本金30億円。従業員400人。3年前、プロ経営者の黒崎宏が前身の中堅自動車部品メーカー『山田製作所』(東証一部上場)を買収。創業家山田家の2代目による放漫経営が祟り、山田の業績は悪化の一途をたどっていたが、黒崎は二束三文で買い叩いたポンコツメーカーに恐るべき荒療治を施した。

 まずその剛腕で山田一族をはじめ無能な役員を一掃し、徹底したコストカットとリストラで水膨れ組織のスリム化を実現。次いで取り扱い商品を30種から10種に絞り込むという、《集中と選択》の大胆な経営戦略を実行。古参の幹部社員たちから猛烈な反発を食らったが、不満分子は去れ、と一歩もひかず、逆にひとり残らず追い出し、みごと、経営の立て直しに成功している。

 2年前、さらなる攻勢を仕掛ける。社名を『ミラクルモーターズ』に変更。中堅の自動車部品メーカーがEV(電気自動車)開発をぶち上げたのである。

 自動車業界のお歴々からは「ド素人の夢物語」「アホベンチャー」「ホラ吹き黒崎の破滅的ワインディングロード」とさんざん叩かれたが、1年前、完成したデモカーでテスト走行を敢行。新世代の電池、リチウム・オキシジェン電池を搭載したデモカーは1回の充電で700キロ走破という、水素カーなみの恐るべき数字(従来のEVの2倍以上)を叩き出し、関係者のド肝を抜いた。

 黒崎宏は以後、“日本のイーロン・マスク”の異名をとり、本家同様、積極的に投資を募り、名だたるベンチャーキャピタルや大企業、外資系企業、投資家、財界人、新工場の誘致を狙う地方自治体が「黄金の船に乗り遅れるな」とばかりに出資。その額は1000億円を超え、株価も急上昇。『ミラクルモーターズ』はあっという間に時価総額3000億超の優良企業となった。

 自動車専門誌のベテラン記者は匿名を条件に、有馬にこんな極秘情報を明かした。

「すでに内外の自動車企業が黒崎に接触しており、近い将来、欧州の企業との資本提携を大々的にぶち上げるとの噂がある。そうなれば、世界の自動車業界の勢力図はがらりと変わる」

 有馬は、予想をはるかに上回る『ミラクルモーターズ』の快進撃に驚愕し、同時になぜ、リチウム・オキシジェン電池の開発が可能になったのか、さらに調べてみた。すると、ひとりの技術者の名が浮かび上がる。

 江田慎之介、38歳。大手電機メーカー『シーザー』で次世代の電池開発に取り組んできた技術者で、性格は独善的で場の空気が読めず、対人関係が苦手なエゴイスト。自称〈孤独な天才〉である。

 2年と半年前、『シーザー』が経営不振で中国企業への傘下入りを表明するや、黒崎の熱心なヘッドハンティングに応じて『山田製作所』(後の『ミラクルモーターズ』)へ研究本部長の肩書で移籍。莫大な支度金が支払われたらしい。もっとも、江田自身は病的な取材嫌いで、過去、メディアへの登場は皆無。江田に関する情報は極めて限定的である。

 関係者の話を総合すると、扱いが非常にむずかしいこの〈孤独な天才〉江田をうまくコントロールし、最先端の研究を続けさせたことがリチウム・オキシジェン電池の実用化につながったという。そしてそれこそが、黒崎宏の最大の功績だとも。

 周囲の雑音もなんのその。目的に向かって驀進し、きっちり結果を出す黒崎宏というプロ経営者に有馬は俄然、興味を抱いた。

 城との面会から3日後の深夜。有馬は西荻窪の自宅アパートで、キーボードを一心に叩いた。

 2階角部屋。家賃8万円の2K。パイプベッドに乱雑な書棚。事務用デスク。床に転がったカップ麺の容器とペットボトル。洗濯籠からあふれ出た汚れもの。

 男独り暮らしの辛気臭い部屋で、有馬は懸命に文章を紡いだ。黒崎宏への取材依頼書。まず自己紹介から入り、『ミラクルモーターズ』の素晴らしさ、可能性を抑制の利いたタッチで記し、仕掛け人の辣腕プロ経営者にインタビューしたい旨を情熱を込めて綴った。

 キーボードを叩きながら、脇においたA4の用紙を確認する。関係者から手に入れた、黒崎直筆の『ミラクルモーターズ』の社名変更趣意書。何度読んでも心が躍る。

《敗戦後、食うものも満足にない焼け野原で、本物のベンチャースピリットを持った企業がいくつも産声を上げました。なかでも、トップランナーとして快進撃を続けたソニーやホンダは世界的大企業へと成長し、日本人の底力を世界中に見せつけました》

 けっして達筆ではないが、魂のこもった、武骨で味のある字だ。趣意書は戦後日本を牽引した起業家たちを賛美し、停滞期を抜け出せない現状に怒りをあらわにする。

《ところがいまはどうです。アメリカ、中国、台湾で急速に成長するベンチャーは巨万の富と膨大な雇用を生み、世界を席巻しています。ちなみにアメリカに於けるベンチャーへの出資金は日本円にして年間10兆円にも及びます。翻ってわが日本国はわずか2000億円程度。ベンチャー業界の実情も悲惨のひと言に尽きます。ベンチャーとは名ばかりの、小賢しい若手起業家は目先の利益に血道を上げ、数字のみを見て一喜一憂するばかり。彼らの多くは、スマホ用の気のきいたアプリを開発し、大手企業に可能な限り高値で売り払い、その利益で悠々自適の引退生活を送るのが夢、と本気でのたまうのですから話になりません。

 一方、日本の高度成長期、世界に名を馳せた大企業は、先人が血のにじむ努力で築いた遺産を好き放題食い散らかし、名誉欲にかられた経営陣が財界での地位と勲章の色を競い、不毛な権力闘争にうつつを抜かす有り様。結果、坂道を転がるがごとく凋落し、日本を代表する名門企業が次々に存亡の危機を迎えています。日本人としてこんな情けないことはありません》

 黒崎の筆は自信を失った日本人を叱咤し、『ミラクルモーターズ』の夢を高らかに謳い上げる。

《偉大なる先達が無一文の焼け野原から雄々しく立ち上がり、築き上げた日本国も、このままでは衰退に歯止めがかからず、近い将来、終わります。第二のソニー、ホンダの誕生など、夢のまた夢。いまこそ、日本人は捨て身の覚悟で世界と勝負せねばなりません。わが『ミラクルモーターズ』は、文字どおりその牽引車となります。自動車業界が百年に一度の未曾有の大変革期を迎えているいま、他の追随を許さぬEVを開発、量産し、世界からガソリンカーを駆逐します。Cオo2を大幅に削減し、中国、インド、ロシア、ブラジルをはじめ世界中の大気汚染地帯に澄んだ青空を取り戻し、地球温暖化を阻止してみせます。そして日本人の卓越した技術力、実行力を満天下に知らしめ、地に堕ちた自信と誇りを取り戻します。

 志ある若人よ、一緒に戦おうではありませんか。『ミラクルモーターズ』は世界と渡り合い、必ずや勝ち抜くことをここに宣言します。われらが母なる地球を大切に守り、未来の人類にバトンタッチすることを誓います》

 ああ、なんという気高い志だろう。文字を追いながら胸が熱くなる。ここには食うだけでせいいっぱいのフリーがとっくの昔に忘れた誇りと情熱、ロマンがある。

 2年前の『ミラクルモーターズ』への社名変更時に記された趣意書。このときはもう、偏屈な天才技術者、江田慎之介を中心に、リチウム・オキシジェン電池の開発に取り組んでいたことになる。が、実用化が約束されていたわけではない。まだ海のものとも山のものとも知れぬ状態ながら、黒崎の頭には壮大な未来予想図が描かれていたのだろう。その度胸と自信、スケール、先見性には恐れ入るばかりだ。

(続く)