超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

世界中の自動車メーカーと戦う54歳のプロ経営者は、わずか3時間の睡眠でEV革命を主導する

第4章 EVと革命児(3)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は、謎の投資家・城隆一郎の依頼で話題のEVベンチャー「ミラクルモーターズ」を調査することになる。同社トップの黒崎浩に取材を申し込んだ有馬は、革命家を自称する彼の圧倒的な存在感と熱い経営理念に魅了されるが──。

 ***

 有馬は気持ちが昂揚したまま“指揮所”を観察する。作業の途中なのか、デスクいっぱいに書類が広げられている。

「執務は何時からです?」

「遅くても6時には出社している」

 さらりと答える。なら、いつ寝ている? 午前2時までは宵の口、と豪語した男だ。黒崎は疑問に答えるように付言する。

「睡眠時間は3時間もあれば充分、おれはほら、ナポレオンがライバルだもの。1日はたったの24時間だ。眠っているヒマなんかないよ。どうせ死んだらいくらでも眠れるんだからさ」

 ここは笑うべきなのだろうか。有馬が迷っていると、黒崎は一転、表情を引き締めて言う。

「おれが『山田製作所』を買収したのは3年前、51歳のときだ。これが人生最後の大仕事、と腹をくくり、コツコツ築き上げた資産をすべて吐き出して買収した。世間様は左前のポンコツ部品メーカーを二束三文で買い叩いた、と面白おかしく言ってくれるが、個人で数十億のカネを都合するのはけっこうたいへんなものだよ。資産をすべて吐き出し、自宅も別荘も抵当に入れ、銀行、知人からカネを借りまくった。一か八かの捨て身だな」

 こっちまで身が引き締まる。

「人生の総決算、すべてを賭けた大勝負だけに、悔いのないよう、持てるエネルギーを一滴あまさず仕事に捧げたいんだ。ここなら──」

 黒崎は質素な社長室を見回す。

「始業時間の8時までの2時間、だれにも邪魔されず、集中して事務仕事をこなし、アイデアを練ることができる。生きるか死ぬかの崖っぷちを進むおれの大事なエネルギーの源だね」

 そんな貴重な時間を──恐縮してしまう。

「気にすることはない」

 有馬の肩を分厚い平手で叩く。パシッ、と小気味いい音が響いた。

「ときには有能なジャーナリストの、忌憚のない意見も聞かないとね。猪突猛進しがちなベンチャーにとって外部の冷静な声は実に貴重だよ」

 勧められるままソファに座った。大理石のテーブルの向こうで、黒崎は缶コーヒーを飲み、語り始める。

「EVは必然なんだよ。世界の自動車業界はカネと手間のかかるFCVを見切り、完全にEVに舵を切ったもの。英仏両国と台湾は2040年までにガソリンカーの販売を禁止する方針を発表し、オランダ、ノルウェーでも2025年以降、同様の措置を取ると思われる。いまや米国に代わる自動車王国、中国もガソリンカーの禁止を視界に入れはじめたし、インドでも2030年までにすべての新車をエコカーにする、とぶち上げた。これらの国々が想定するエコカーはEVだ。なかでも中国はすごい」

 語るほど、言葉が激してくる。

「ガソリンカーでは日本と欧米に未来永劫かなわない、と悟り、国を挙げてEV化に注力している。つまり、年間販売台数3000万台を誇る中国は、日米欧が支配する世界の自動車産業にEVで殴り込みをかけ、歴史的ゲームチェンジを起こそうとしているんだね。共産党独裁国家ならではのダイナミックな戦略だ。中国が先頭に立つこの世界的EVシフトは強化されるばかりで──」

 有馬は説得力抜群の話をメモしながら、エネルギーの塊のようなこのプロ経営者の来歴を振り返る。

 早稲田大学卒業後、財閥系総合商社に入社。5年後、自ら手を挙げ、経営難に陥っていた子会社のスーパーマーケット再建に着手。単身、新社長として乗り込み、父親のような年齢の役員たちと怒鳴り合い、ときにつかみ合いの派手なケンカを繰り広げながらも、攻めに徹した経営戦略で人心をまとめ上げ、経営をV字回復させたという。

 30歳のとき転機が訪れる。その辣腕を有名アパレルメーカーの創業者に見込まれ、総合商社を退社。アパレルメーカー社長に就任し、2年で業績を倍増させた。以後、ヘッドハンティングが相次ぐ。請われるまま、大手飲料メーカー、外資系ファストフードチェーン、通信教育会社を渡り歩き、高額の成功報酬をゲット。プロ経営者の名を不動のものとし、その集大成として取り組んだのが『ミラクルモーターズ』の大勝負である。

「日本はダメだね」

 黒崎は渋い面で語る。

「背水の陣でEV開発を加速させる外国メーカーに較べ、日本の自動車メーカーは悲しいくらい動きが鈍いんだな」

 前例のないドラスチックな変化を明快に語る。

「本格的にEVへ移行するとなれば、大量の血がじゃぶじゃぶ流れる。関連会社の部品メーカー、有力なサプライヤーをばっさばっさと斬って捨てなければならない。当然だ。ガソリンカーの部品は3万点に及ぶが、EVは1万点で済む。しかも内燃機関が動力のガソリンカーと違い、モーターで事足りるEVは複雑なマシンの仕組みが一切必要ない。既存の技術の多くは用無しとなってしまうわけだ。いわゆるイノベーションのジレンマだね」

 ふっとため息をひとつ。

「たとえばの話、マフラー製造で年間5000億からの売り上げを誇り、わが世の春を謳歌してきた部品メーカーなど、瞬時に消滅してしまう」

 コペルニクス的転回を強いられる自動車業界。近い将来、生き残りをかけた凄まじい修羅場を迎えるのだろう。が、まだ先があった。

「販売店も大幅に削減される。いまの販売店はクルマを売った利益より、点検サービスと部品交換で儲けている。ところがEVはマシンの構造がシンプルだから故障が格段に少ない。当然、点検サービスも部品交換も必要なくなる。販売店はEVだとまったく儲からないんだ」

 なんともはや。自動車業界で禄を食む人々に同情してしまう。

「大手自動車メーカーなら国内だけでも10万人前後の雇用が消失する。関連企業、下請け企業を含めれば優に100万人を超えるだろう」

 黒崎は恐ろしいことを平然と述べる。

「これは歴史の必然であって、大きな犠牲が出るのは仕方ないんだね。かのヘンリー・フォードがT型フォードの大量生産を開始した1908年以来、110年の歳月を経て起こる、歴史上稀にみるビッグバン、大変革、スーパーイノベーションだもの。既存の設備、余剰人員を大量に整理し、新時代のメーカーへと脱皮する以外、生き残る道はないんだよ。いつまでも泰平の世は続かない。シビアな諸問題を直視せず、ぬるま湯に浸かったまま先送りにする優柔不断な姿勢は破滅への第一歩だ。哀れな茹で蛙になってしまう」

 己の古巣、新聞社のことを言われているようでつらい。が、世界を相手に戦うプロ経営者は貧しいフリーの感傷などおかまいなしに、雄弁に語る。

「大手日系自動車メーカーは関連会社やサプライヤー、販売店の猛烈な反発を恐れ、半端な立場を取り続けている。これまでと変わらずガソリンカーに主軸をおきつつ、EVもFCVもHV(ハイブリッド)もやりますよ、全方位経営でつつがなくやっていきますよ、安心して下さい、とね。それじゃダメなんだっ」

 語気が強く、太くなる。

「過去、液晶テレビとCDが登場し、それぞれ、ブラウン管テレビとレコードを駆逐するまで、わずか7年だよ、7年。このままだといずれ大手日系自動車メーカーが立ち枯れになるのは目に見えている。あわててEVに移行しようにも手遅れだ。手元の資金はあっという間に枯渇し、関連会社、サプライヤー、販売店もろとも沈み、消滅だ。デジタルカメラになぎ倒された世界最大のフィルムメーカーと同じだよ。そんな悲惨な未来、日本人ならだれも見たくないだろ。しかもだ」

 大きく息を吸い、よく聞けよ、とばかりににらみをくれて語る。

「自動車業界の大変革はEVにとどまらない。AI(人工知能)による自動運転の熾烈な開発競争もある。ここでも日本は世界に大きく後れをとっているんだ」

 黒崎の説明によれば現状はこうだ。自動運転は技術基準に応じて、自動ブレーキなどの〈レベル1〉からハンドルもアクセルも必要ない完全自動運転〈レベル4〉までに分類されており、ドイツではすでに〈レベル3〉、つまり緊急時のみ人間が運転の主体となるクルマの実用化に成功。翻って日本は、高速道路の同一車線を自動運転で走行できる〈レベル2〉にやっと到達した段階とか。

 黒崎は顔に朱を注いで吠える。

「おれは『ミラクルモーターズ』を世界一の自動車メーカーに育て上げる。100年に1度のスーパーイノベーションの破壊力とはどういうものか、頭のカタい日系メーカーの首脳陣に教えてやる。これはおれが──」

 平手で己の胸を叩く。パンッと乾いた音が響いた。

「この黒崎宏が天から下された使命なんだよ」

(続く)