日本サッカー界を牽引してきたレジェンドがまた一人、ユニフォームを脱ぐ決断を下した。ワールドカップに臨む日本代表に4大会連続で名前を連ね、ゴールキーパーでは最多、日本歴代でも3位タイとなる国際Aマッチ通算116試合に出場。「炎の守護神」の異名とともにゴールキーパーのステータスをも引き上げた川口能活が、今シーズン限りで現役を引退することが所属するJ3のSC相模原から発表された。横浜マリノス(当時)でプロの第一歩を踏み出してちょうど四半世紀。海外を含めて6つのクラブのゴールマウスを守った43歳が歩んできた、波瀾万丈に富んだサッカー人生を、相模原に移籍した2016シーズン以降にスポットライトをあてながらあらためて振り返った。(ノンフィクションライター 藤江直人)
W杯フランス大会から20年
いまだに現役を続ける数少ない存在に
競技のジャンルに関係なく、人間である以上は誰もが必ず、現役に別れを告げる決断を下す。51歳の今もJ2の横浜FCでプレーするレジェンド、FWカズからこんな言葉を聞いたことがある。
「そういった日がなるべく近づかないように、努力していきたいよね」
川口能活も不断の努力を怠らなかった。日々の練習でストイックなまでに自分自身を追い込み、真摯な姿勢を貫くことを信条としてきた。ベストの体重を維持するために1日に5度も体重計に乗り、それこそ100グラム単位の増減にまで気をつかってきた話はあまりにも有名だ。
静岡県の強豪・清水商業(現清水桜が丘)の守護神として、決勝戦で国見(長崎)を撃破して全国高校サッカー選手権を制したのが1994年1月。高校ナンバーワンキーパーの肩書を引っさげて横浜マリノス(当時)に加入し、2年目の開幕直後からレギュラーの座をゲットした。
若き守護神を擁したマリノスは1995シーズンのサントリーシリーズを制し、前身の日本リーグ時代からの宿敵・ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と対峙したチャンピオンシップも制覇。川口は新人王にも輝き、Jリーグチャンピオンの栄光に花を添えた。
日本が28年ぶりにオリンピックの舞台に立った1996年のアトランタ大会では、グループリーグ初戦で28本ものシュートを浴びながらサッカー王国ブラジル代表を零封。今も語り継がれる「マイアミの奇跡」を成就させたヒーローの一人となり、世界中を驚かせた。