4月27日、与野党の合意の下に改正郵政民営化法が成立し、小泉郵政改革は、その終焉を迎えたように思われる。なぜかと言えば、改革の中心であったゆうちょ銀行(以下「ゆうちょ」)とかんぽ生命保険(以下「かんぽ」)の完全民営化路線が、ほぼ放棄されたように見えるからである。

 これに対して、自民党の4人の衆議院議員が造反したが、2005年9月の総選挙で郵政改革を「唯一の」旗印にして、296議席を獲得し圧勝した自民党の姿は、今でも鮮明に脳裡に焼きついている。296人対4人、いくら7年の歳月が経過しているとは言え、この著しい落差に驚嘆を禁じ得ないのは筆者だけだろうか。小泉郵政改革とは、いったい何だったのだろうか。もう一度、原点から考察してみたい。

金融自由化路線の
残された最後の環が郵政改革

 戦後のわが国の金融界は、1940年体制の世界と、金融自由化の世界に大別される。第二次世界大戦での敗戦により、焦土と化したわが国を復興するためには、まず資本の蓄積が何よりも必要であった。わが国は、当時の大蔵省による金融の一元指導により、資本の早期蓄積を目指した。それが、1940年体制であり、一言で言えば、統制経済、社会主義的な金融の枠組みであった。そして、この1940年体制は大成功を収め、わが国はGDP世界第2の大国まで登り詰めたのである。

 1980年代に入って、わが国は外為法の改正を皮切りに、金融自由化路線に舵を切り替えた。世界第2の規模にまで成長したわが国経済にとって、1940年体制は、もはや桎梏でしかなく、金融の自由化こそが、これからの成長を加速すると考えられたからである。為替の自由化、金融制度改革、金融ビッグバン等の諸施策は、すべてその大きな流れに沿うものであった。