河島英五さんと加藤登紀子さん 提供:トキコプランニング
「酒と泪と男と女」をはじめとして数多くの名曲を生み出したシンガー・ソングライター、河島英五。加藤登紀子が彼と初めて出会ったのは、ライブの客席から突然ステージに上がってきたその瞬間だった。飢えを自ら体験し、砂漠を旅し、病に身体を蝕まれても歌い続けた好漢との忘れ得ぬ日々を回顧する。※本稿は、歌手の加藤登紀子『「まさか」の学校』(時事通信社)の一部を抜粋・編集したものです。
亡くなる2日前まで
ステージに立った河島英五
早逝したアーティストといえば、河島英五さんだ。
彼が亡くなったのは2001年4月16日、48歳だった。
私は前年、NHKのテレビ番組の収録で久しぶりに出会い、リハーサルでその颯爽としたうたいぶりを目の前で見て、声をかけていた。
「英五さん、元気そうね。声がのびのび出てて、素晴らしいわ!」と。
すると彼はニタっと笑ってこう答えた。
「そう見えるでしょ?でも何でか医者はそう言わんのですよ!」
それ以上何も説明してくれなかったので、こんなに早く亡くなるとは夢にも思っていなかった。
後でわかった彼の晩年は、壮絶なものだった。
C型肝炎、高血圧など、様々な不調を抱えながら、それでも亡くなる2日前までステージに立った。
この年、1月13日にはNHKの歌謡コンサートに出演、その後も富山のコンサートがあり、自宅に戻った1月17日、吐血した。
娘さんが救急車を呼ぼうとすると、「入院したらライブを中止にしなくちゃならんし」と嫌がったそうだ。それでも入院。
その入院中も、ギターで歌を作り続けた。
看護婦に励まされた言葉から「がんばろな」を作り、いっぱい旧友が見舞いに来てくれた嬉しさを込めて「旧友再会」。







