農林水産業イノベーション 第3回
農業分野での“死の谷”を超え、基礎研究を着実に社会に実用化していく

農林水産省

野菜の害虫防除に天敵を安定動員するための
「バンカーシート」の開発

 それは、ちょっと大きめのお年玉袋のようだ。天敵増殖資材「バンカーシート」。2017年春に上市された。中央農業研究センターや民間企業、県の研究・普及機関らが3年間で共同開発した(農食推進事業:26070C)ものだ。

農林水産業イノベーション 第3回 農業分野での“死の谷”を超え、基礎研究を着実に社会に実用化していく農業・食品産業技術総合研究機構中央農業研究センター
虫・鳥獣害研究領域
下田武志上級研究員

 バンカーシートをキュウリやナス、イチゴなどの枝や茎にぶら下げておくと、食害を引き起こす微少害虫のハダニ、アザミウマ、コナジラミなどを駆除してくれて、きれいな実がなる。実はバンカーシートは、ハダニやアザミウマの天敵であるカブリダニを増やし、放つ“巣”なのだ。

 化学農薬(以下、農薬)を使わない作物を求める消費者の声は強い。農家も、その期待に応えたいと考えている。しかし施設栽培の野菜では食害を起こすハダニやアザミウマなどの微少害虫が発生しやすくなる。しかも微少害虫は、農薬が効きにくい。つまり薬剤抵抗性が極めて高いのである。

 そこで白羽の矢が立つのが微少害虫の天敵、カブリダニだ。「生物農薬」とも言われている、カブリダニを放飼する手法は珍しくなく、実際、ボトル入りやパック製剤としてカブリダニが販売されていた。しかし環境変化に弱いカブリダニを施設内で定着させるのが難しく、結果的にコストもかさんでいた。

農林水産業イノベーション 第3回 農業分野での“死の谷”を超え、基礎研究を着実に社会に実用化していく耐水性の本体(封筒)の中に、①水分を提供する給水玉②カブリダニの成虫が100匹ほどと餌が入ったパック③成虫が卵を産み付けられるシート、が入っている

「カブリダニをもっと手軽に、安定的に、低コストで使えるようにできないか」と下田武志研究員らは考えた。従来の欠点を洗い出して改良を加えたのが「バンカーシート」だ。バンカーシートは、耐水性の本体(封筒状)の中に、①湿度保持用の吸水性ポリマー(保水資材)②カブリダニの成虫が100匹ほどと餌が入ったパック③成虫が卵を産み付けられるフェルト(産卵基質)、が入っている。

「湿度が保たれた本体の中でカブリダニが卵を産んで増殖し、長期間にわたり、本体のすき間から外に出て行きます。バンカーシートは隠れ場所にもなるし、カブリダニを保護するので散水や農薬の影響もほとんど受けない。要するにカブリダニがいかんなく実力を発揮できる“すみかと増殖場所”を用意してあげたわけです」(下田研究員)

 栽培施設の中は乾燥しやすいので、保水資材を入れて天敵を守るアイデアが浮かんだが、予想以上に増殖も盛んになったのには驚いたという。また、良い条件さえ整えれば効果の高い、使いやすい生物になるになることも確認できた。

 バンカーシートは上市されたが、今なお全国で効果検証が繰り返されている。いつ、どのような状況のときに、どのように利用すれば駆除効果が高いかなどのデータが集められている。それは、いわゆる「防除暦(マニュアル)」を作成するためだ。

 「栽培地や栽培している農産品の違いを気にせずに使えるようにしていくことが、この開発の社会実装の実現だと思います。これまでは施設栽培野菜が中心でしたが、バラやキクなどの花や、果樹栽培にも適用できることが分かってきました。果樹栽培では土着の天敵もいますので、それらも活用して生物農薬の可能性を広げていくのが本来的な課題だと考えています」と下田研究員は言う。

  私たちの日々の食生活を支える農業の営み。その営みを支えるさまざまなイノベーションが基礎研究から生み出されるが、それを実用化するには多くの課題がある。基礎研究が実用化につながらない“死の谷”は農林水産分野にもあり、それを克服するために多様な知の集積と活用が促され、その成果として多くの研究が着実に社会に実装されてきているのだ。
 

●問い合わせ先
農林水産技術会議事務局 https://www.affrc.maff.go.jp/
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